とんま天狗は雲の上

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誘拐の知らせ

 1990年から1991年にかけてコロンビアで起きた複数の誘拐事件の発生から解決までを被害者、その家族、政府、加害者の関係者、その他全ての当事者から話を聞き、再編したノンフィクション作品である。このときガルシア=マルケスノーベル賞を受賞した後で、世界的にも著名な作家の一人であった。
 この話は、被害者の一人であるマルーハ・パチョンと事件解決に最も活躍した夫のアルベルト・ビヤミサルから持ち込まれた記録と経験から書き起こされることになった、とまえがきの「謝辞」に書かれている。しかし二人の話に留まらず、多くの人々に取材を重ね、同時に発生した複数の誘拐事件と関連付けて描くことで、複層的な厚みのある作品に仕上がっている。
 それはまるで小説のようである。多くの事件や事柄が複雑に絡み合い、被害者の家族、大統領とその側近、加害者グループなどの思いや行動が手に取るように描かれている。
 これは単なる犯罪事件ではない。一部のエリートが社会の実権を握り、多くの国民が最下層に押し込まれる中で、コカインが階層社会を揺さぶり、社会矛盾が顕在化しているコロンビア独自の社会情勢を露わにしている。加害者グループの首領であるパブロ・エスコバルと彼が作ったコカイン・カルテルの実態は、階層社会に虐げられ希望の見出せない若者や人々に生きがいを与え、生活を謳歌させる。人質を見張る番人グループにも個性があり、明るさがあり、やりきれない怒りに満ちている。そして人質たちは番人たちも裏の社会の囚われ人であることに気づき、お互いの奇妙な心の交流が始まる。
 また、この一連の誘拐事件が解決していく過程は、被害者の夫でありジャーナリスト、元国会議員のビヤミサルと、カルテルの首謀エスコバルとの信頼と心の交流が糸口となっている。「我々は同じ戦争を戦っている同士なのだ」。ここに神秘主義的な神父や星占いなどのいかにもコロンビアらしい風俗がからんで解決の道を辿っていくのは、まるで出来過ぎた小説のようだ。
 人質も全てが無事に救出されるわけではない。見せしめに殺される者もいれば、警察の強硬捜査の犠牲になった者もいる。そしてそれを察して動揺する残された人質たち。
 全てが真実であり、それが故にさらに真実を通り越す。ガルシア=マルケスならではの最高のノンフィクション作品だ。

誘拐の知らせ (ちくま文庫)

誘拐の知らせ (ちくま文庫)

●誘拐の知らせを受けるというのはつらいことにはちがいないが、殺害の知らせのように取り返しがつかないわけではなく、エルナンドは安堵のため息をついた。「神に祝福を!」と彼はもらし、すぐさま調子を変えて言った―「みんな落ち着け。どうすべきか。よく考えよう」(P59)
●最初のうち、彼らは見分けがつかなかった。見えるのは覆面だけで、誰もが同じように見えた。というか、ひとりしかいないように感じられた。しかし、時とともに、覆面は顔を隠しても性格は隠せないことがわかってきた。そうして、ひとりひとり区別できるようになった。それぞれの覆面が違った特徴をもっていて、独自の存在が背後にあって、取り替えようのない声をしているのだった。それだけでなく、彼らには心もあった。彼女らが積極的にそう望んだわけではなかったが、結局彼らと閉じこめられた暮らしの孤独を分かちあうようになっていった。(P90)
●いわゆる「英雄気分のドラッグ」(コカイン)よりもさらに害の多い麻薬がコロンビアの国民文化のなかに流れこむことになった―それはあぶく銭という麻薬だった。法律が幸福実現の最大の障害であるという考えが広く行き渡り、読み書きを習っても何の役にも立たない、まっとうな仕事につくよりも犯罪者になったほうが安定したいい暮らしが送れる、といった考え方が蔓延した。(P190)
●「われわれが驚くのは、犯人側にたいへんな信頼を寄せてらっしゃるという点なんですが」とリポーターは言った。/「戦場の約束だからだ」とビヤミサルは答えた。(P364)
●彼らは抱擁をくりかえして彼に別れを告げ、いろいろなことを教えてくれてありがとうとパチョに礼を言った。パチョの返事も心からのものだった―/「僕もきみらから、いろいろ教わったよ」(P387)