とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

地雷を踏む勇気

 日経ビジネスオンラインで連載されている「ア・ピース・オブ・警句」は毎週楽しみに読んでいる。その大胆な発想と本音を綴った文章には、毎週ナットクし共感する。真実はまさにここにあり、と思う。
 特に共感したコラムはブックマークをしている。それが二つとも取り上げられているのはうれしい。最初に掲載されているコラム「隠しきれなくなった核抑止力」もブックマークこそしなかったが、最も共感したコラムの一つだ。
 「原発核兵器に代わる核抑止力の装置である」「愛国心の強制は愛国心を萎えさせる」「大人は役割だ」。それがどこまで正しいかは問わない。正しいか、正しくないかではない。そう感じられ、それに共感する。それだけのことだ。地雷を踏んでいるのではない。足を下ろしたところに地雷があって、それが爆発するかどうかは、社会の側の問題だ。だが、あえて社会的地雷を踏んで警鐘を鳴らす。あくまで意図的に、かつ遊戯的に。その踏み具合が絶妙。当意即妙。
 3章に分かれているが、「1 見張り塔からずっと」が最も社会批判的。「2 金曜の午後、2時46分」は東日本大震災フクシマ原発関連。「3 ギミー・シェルター」はその他の世相批評という感じか。同時に出版された「その正義が危ない」はもう少し個人感想的なコラムが集められているのだろうか。そちらも近いうちに読んでみたいと思う。
 ネットで読んだものをもう一度読むのもまあ面白い。内田樹の場合は読んだ覚えがあるな、という程度の記憶だが、小田嶋氏の場合は、書かれていたフレーズから思い出すことが多い。それだけ共感度が高いということか。

地雷を踏む勇気 ?人生のとるにたらない警句 (生きる技術!叢書)

地雷を踏む勇気 ?人生のとるにたらない警句 (生きる技術!叢書)

●ごらんの通り、読売新聞社は、「核兵器の材料になり得るプルトニウムの利用が認められている」現状が、「潜在的な核抑止力として機能している」ことを、「事実」として認定している。驚嘆すべき主張だ。というのも、読売新聞は、原発核兵器である旨を半ば公認してるわけで、・・・(P015)
愛国心に限らず、どんな感情であれ、人間の心の動きは、強制できるものではない。強制可能なのは、形式だけだ。・・・起立と斉唱の法制化は、愛国心の有無ではなく、愛国心の形式を規定するものだ。と、愛国心そのものは、強制の影で、委縮するかもしれない。(P081)
●専門家の分析を持たないとはっきりしない真相や課題はともかくとして、私どもメディアの受け手であるパンピーは、まずなによりも「気分」を変えるためのスイッチとして、ニュースを摂取する存在だからだ。(P091)
●大人になることは、必ずしも人格の成熟を意味しているわけではない。・・・変わっているのは、人格ではない。関係だ。つまり、大人になったことで変わったのは私自身の内実ではなくて、外界なのだ。私と世界の関係が変質したから、私は大人として振る舞わざるを得なくなっている、と、これは、そういうスジのお話なのだ。社会の中で一定の立場にある人間は、個人である以前に役割としてそこに立っている。(P235)