とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

正義とは何か

 ロールズの正義論を中心に、リベラリズムリバタリアニズム、コミュタリアニズム、フェミニズム、コスモポリタニズム、ナショナリズムの6つの視点から、正義論について考察する。正直、かなり難解で、途中で一旦投げ出したが、他書を読んだ後でもう一度読み始めた。何とか読み終えたが、どこまで理解しているかは心許ない。ただ2度目には、本書の読み方が少しわかってきた。ロールズ正義論を説明するのではなく、ロールズ正義論に対する批判や比較をする中で、正義論の多様な側面を描き出していく。そういう視点で読み始めると、何とか筆者の言わんとすることが見えてきた。

 「正義とは何か」。それは、理想の社会とはどういうものか、について考えることだ。ロールズはそれを「平等な諸自由と最低限の社会的生活が保障される制度」として提示した。それはリベラリズムであるが、さらに小さな政府を構想するリバタリアニズム、共同体の中で位置づけられる自我こそ「善い生」として依拠すべきと考えるコミュニタリアニズムロールズは男尊女卑的視座から抜け出していないと批判するフェミニズム、国境を越えてグローバルな時代における正義について考えるコスモポリタニズム、そしてグローバルな時代における国民国家のあり方と関係をナショナリズムの観点から考察をする。

 社会経済状況が変化する中で、正義論も時代とともに変化をしていく。だが、正義論が求めるのは、我々はどんな社会を作り、社会とどうかかわって生きていけばいいのかということ。こうしたことを学問として考えている人びとがいる。一方で、「官僚主義化し、政治的責務の本性が不明瞭となった社会では、政府は、市民たちの道徳的共同体との結びつきを失っている」(P249)。まさにそれが現在の日本政府の姿ではないのか。今、政治家にこそ「正義とは何か」について考えてほしい。読んでほしい。でも少し難しいかも。いや政治家なら理解できて当然でしょ。

 

正義とは何か-現代政治哲学の6つの視点 (中公新書)

正義とは何か-現代政治哲学の6つの視点 (中公新書)

 

 

ロールズは正義の主題を社会的諸制度としています。基礎構造は「基本的な権利と義務を分配し、社会的協働が生み出した相対的利益の分割を決定する方式」です。……諸制度を通じて平等な基本的諸自由と社会的最低限の生活が各人に保障されることになります。……ロールズ正義論は、各人の功績の有無にかかわらず、社会的諸価値を社会の全メンバーへ分配することを要求します。 (P41)

○正義についての思考を国境で止めないこと――グローバルな時代においては、この構えも美徳のひとつになるでしょう。もしコミュタリアンが、国境を超える複数の物語的秩序が形成されつつある現代社会を抱擁する気になりさえすれば、人びとの善い生を気遣い、その実現に具体的に取り組みことを通じて、現在の国民国家システムとは異なる世界のあり方を描き出せるのではないでしょうか。(P145)

○ブルジェールの唱える「個人を支える政治」はまた、個人が実際に何ができて何になりうるのか、つまり個人のケイバビリティに着目するものでもあります。……ケイバビリティには……まず個人本人が、教育、ヘルスケア、感情的支援などによって、昨日を達成しうる状態にある必要がある。ただし……劣悪な社会的・制度的編成のせいでそうすることが阻まれることもあるためそれを除く必要がある。……政治はこの「結合的ケイバビリティ」を保障するために、物質的環境を整えなければならないのです。(P177)

○市民たちの善い生を考慮することをやめた政府と、政府への責任を果たさなくなった市民によって、かつての意味での愛国心は「追放された」……。真の愛国心は「私をたまたま支配している政府への服従」ではない…。/私たちに必要なのは、現代社会における正義を前進させる愛国心です。……コスモポリタン的な顧慮を伴う愛国心は、自国の諸個人と他国の諸個人の両方にとっての正義を……実現する力となるのです。(P249)

○誰もが生まれたときの国籍あるいは市民権に加えて、グローバル市民権を享受するとするならば、人びとはどこに行ってもグローバル・ミニマムの暮らしが保障されうることになります。人びとには地球上に存在する人間であるがゆえにこのグローバル市民権を非常事態において行使する権利があるとし、他方で受け入れのケイバビリティがある諸国には受け入れの義務があるとします。……これからの正義論には、こうした構想の展開が望まれます。(P254)