とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

マドンナ・ヴェルデ

 久し振りに海堂尊作品を読んだ。「ジーン・ワルツ」を読んで以来、早く文庫化されないかと待ち望んでいた「マドンナ・ヴェルデ」。そして得心したのは、海堂尊と中山七里との違いは社会問題への意識のレベルだということ。海堂尊のデビュー作からA.Iの導入が主張されていたが、医療行政に対する批判や問題の指摘は、その後の作品でも常に意識されてきた。
 前作「ジーン・ワルツ」では産婦人科医療を巡る諸問題がさまざまに取り上げられていたが、本作品では代理母の問題が真正面に取り上げられている。それだけではない。代理母になった母親。代理母を頼んだ娘。それぞれの思いと相克を描きつつ、母親になることに対する女性の思いを描く。筆者は男性のはずだが、まるで女性の気持ちがわかるようにさえ思う。女性が読むとどう感じるかはわからないけど。
 解説をTVドラマ「マドンナ・ヴェルデ」でみどり役を演じた松坂慶子が書いている。そこで、みどりが妊娠をして次第に気持ちも若々しくなっていくことを指摘している。時間を遡り、一人の女として思ったことを主張する女に、「女性として、年齢を逆行することで”聖母”であると同時に”女”に戻っていく」(P339)。確かにそのとおりだ。女性から見た代理母問題へのアプローチが是非とも必要だと思わざるを得ない。

●性交なしの妊娠といえば、宗教画の聖母マリアが連想される。他人から見れば、今の自分はマリアとよく似た微笑を浮かべているに違いない、とみどりは思う。そして、確信する。マドンナの笑顔、あれは至福ではなく諦念の表情だったのだ、と。(P34)
●「赤ちゃんが天からの預かり物なら、赤ちゃんを堕ろすのはいけないこと?」・・・「それは違う。赤ちゃんを堕ろすのは母親の選択よ。天からの預かり物は天に返してもいいの」「どうしてそんな風に言えるの?」みどりは躊躇せずに言う。「母親はそれくらい大変な仕事だから。仕事を引き受ける時、できるかどうか考えてから決めるでしょ。できない仕事はできない、と答えることは、いけないことじゃない。少なくとも、産んでから苛めたり捨てたりするよりは、よっぽど誠実よ」(P196)
●不倫が文学の主題になったのは、社会の枠組みがしっかりしていたから。・・・文学で不倫を堂々と扱ったから社会に認知され、その結果、倫理と社会の一部の壁が壊れた。・・・でも、倫理が壊れてしまった今、今更不倫を扱っても、それはもう、ただの気の抜けたソーダ水みたいなもので、覗き見根性を満たす下司な物語を量産しているだけ。・・・父親も母親も親子のつながりも、先進的な科学の前では、何一つ確実ではなく、婚姻と不倫の境界線も崩壊している。それが今の社会の実相なのか。(P254)
●女性は好きな男の子どもを産みたいもの、とよく耳にするがそれは間違いだ、と初めて理解した。女性は単に自分の子どもを産みたいだけ。そして、どうせ産むのなら、せいぜい好きな男が相手であって欲しい、と願っているだけなのだ。(P274)