とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

吾輩は日本作家である

 ハイチ出身の作家ダニー・ラフェリエーニも「ジェロニモたちの方舟」で紹介されていた。紹介されていたのは「帰還の謎」だが、ページ数も多くちょっと重そうなので、先に本書から読み始めた。だいたいタイトルが面白そうじゃない。日本に来たことあるのかな?
 と思ったら、最初にタイトルの秘密が披露される。編集者と話をして、エイヤッと決めたタイトル。日本なんて全く縁も何もない。たまたま芭蕉の「おくのほそ道」を本屋に予約していたからか。それで「おくのほそ道」を読みながら、日本が取り上げられた雑誌をパラパラとめくる。ミドリ、エイコ、ヒデコ、フミ、ノリコ、トモ、ハルカ、タカシ。若者たちが生まれてくる。それからタイトルを聞きつけ、日本大使館からやってきたムッシュー・ミシマとムッシュー・タニザキ。さらにダザイやその他の日本人。でも、筆者自身は日本人と何の縁もゆかりもない。
 多くの日本人が現れ、「おくのほそ道」とともに、主人公のストーリーが進行する。小説なのか、実際のことなのか、エッセイなのか、散文詩なのか。軽妙な文章とともに、判然としないままページは進む。日本って何だ。ハイチって何だ。フランスって何だ。カナダって何だ。アメリカって何だ。世界はこれらが混然として形作られる。日本人が読む本を書くものは日本作家だ。だから自分は日本作家だ。でも同時に黒人で、しっかりと人種差別を受けたりする。それがなんだっていうのか。
 なるほど、ダニー・ラフェリエーニって面白いじゃないか。「帰還の謎」もこんな調子かな? それとも「甘い漂流」から読んだ方が楽に読めるか? いずれにせよ、合格点。それもかなり高得点で。ダニー・ラフェリエーニ。これからも読んでみよう。

吾輩は日本作家である

吾輩は日本作家である

●私にとって、三島は隣人だった。私はろくに注意もせずに、手あたり次第読みちらかした作家という作家を自分の国に引き入れたのだ。ありとあらゆる作家を。・・・生まれた国は違っても、どの作家も私と同じ村に住んでいた。そうでなければ、どうして彼らが私の家に居合わせたのだろうか。・・・私は、読者の国籍が私の国籍だと答えた。ようするに、読んでくれる人が日本人なら、私はたちまち日本作家になるのだ。(P28)
●東京では、一度も私は足を踏み入れたことがないが、時間を綺麗な箱に入れて保存しているらしい。三日の時間がほしいと言えば売ってくれるのだ。・・・日本の時間を雨に濡れたおじぎ草でもって買えないかな。芭蕉は、時間から外れた脇道を歩いているように見える。(P153)
●片っ端からアメリカのガジェットを貪る日本の女の子。・・・彼女は、世界を食べ、世界を話し、壊し、変形してしまう。そうして、敗戦を勝利に変容するつもりなのだ。密かにアメリカの欲望の内奥に入り込み、それを日本人の欲望に変えてしまう。アメリカ人たちは、二度とアメリカ人に戻れないだろう。なぜなら、彼らがすでに日本人であることに気がついていないからだ。(P171)
●面白いと思う心がある限り、小説はなくならないだろう。私は一つの宇宙を創り出したが、それを人と共有しなくてはならないわけではない。女の子の名前が幾つかあって、タイトルがあり、声があり、私が知り抜いた都市と未知の都市がある。これだけあれば、小説は書けるのだ。(P257)