とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ペスト

 新型コロナの感染拡大に伴い、ベストセラーになっているのが、カミュの「ペスト」だ。先月にはNHKEテレ「100分de名著」でも再放送をしていた。これを見て興味を持ち、書店に行ったが、既に売り切れていた。そんな話を友人にしたところ、最近読み返したというので、借りて読むことになった。昭和47年6刷、かなりの年代物だ。

 あらすじや登場人物はテレビを見て、あらかた知っていた。それで改めて再発見したことがあったわけではない。テレビで伝えていたとおり、カミュは戦後、「ペスト」で圧倒的な支持を得たものの、政治的暴力を斥ける「反抗」の論理から、サルトルの間で論争となり、その曖昧な態度を批判された。しかし、本書でもテーマとなっているのは、人間同士の連帯であり、共感だ。そして、正義を振りかざした暴力を否定する。不条理な状況の前で、あくまで誠実であろうとする。そうした態度がまさに共感を呼ぶのだ。

 ところで、緊急事態宣言も首都圏を除いては解除された。GWもといSH週間前の頃には、本作品で描かれたような、もっと酷い惨状を覚悟したが、特に日本においては、それほどのことはなく、終息に向かいつつあるようだ。いや、単に休息かもしれないが、それにしても現時点で、「ペスト」で描かれたような状況を想像することは難しいし、その点では参考にすべきことは少ない。

 いや、もちろん、カミュにとっても「ペスト」はそのまま「ペスト」ではない。作品の中にもあるとおり、「誰でもめいめい自分のうちにペストをもっている」(P302)のだから、その「内なる不条理」といかに戦うか、いかにつき合うかが問題となる。そしてそれへの答えが「連帯」であり「共感」であり、「誠実」である。以前に「異邦人」を読んだ時は、人間の悲しさが胸を打った。「ペスト」はそこからいかに逃れ、生きていくか。そこへ向けた成長と進化が描かれている。この重苦しい社会の中においても、一抹の希望を抱かせてくれる作品でもある。

 

ペスト (新潮文庫)

ペスト (新潮文庫)

  • 作者:カミュ
  • 発売日: 1969/10/30
  • メディア: ペーパーバック
 

 

○天災というものは人間の尺度とは一致しない、したがって天災は…やがて過ぎ去る悪夢だと考えられる。ところが、天災は必ずしも過ぎ去らないし…人間のほうが過ぎ去っていくことにな…る。…彼らはみずから自由であると信じていたし、しかも、天災というものがあるかぎり、何びとも決して自由ではありえないのである。(P46)

○この世の秩序が死の掟に支配されている以上は、おそらく神にとって、人々が自分を信じてくれないほうがいいかもしれないんです。…「なるほど…いわれる意味はわかります。しかし、あなたの勝利はつねに一時的なものですね。…このペストがあなたにとってはたしてどういうものになるか」…リウーはいった。「際限なく続く敗北です」/タルーはいっときじっと医師の顔を見つめ…こういった。/「誰が教えてくれたんです…」/答えは即座に返ってきた―/「貧乏がね」(P151)

○僕はもう観念のために死ぬ連中にはうんざりしているんです。…僕が心ひかれるのは、自分の愛するもののために生き、かつ死ぬということです」…「君のいうとおりですよ、ランペール君…しかし、それにしてもこれだけはぜひいっておきたいんですが…これは誠実さの問題なんです。…ペストと闘う唯一の方法は、誠実さということです。…僕の場合には、つまり自分の職務を果すことだと心得ています」(P197)

○誰でもめいめい自分のうちにペストをもっているんだ。…そうして、ひっきりなしに自分で警戒していなければ…ほかのものの顔に息を吹きかけて、病毒をくっつけちまうようなことになる。…りっぱな人間、つまりほとんど誰にも病毒を感染させない人間とは、できるだけ気をゆるめない人間のことだ。…ペスト患者でなくなろうと欲する若干の人々は、死以外にはもう何も解放してくれないような極度の疲労を味わうのだ。(P302)

○心の平和に到達するためにとるべき道について、タルーには何かはっきりした考えがあるか、と尋ねた。/「あるね。共感ということだ…。僕が心ひかれるのは、どうすれば聖者になれるかという問題だ。…人は神によらずして聖者になりうるか―これが、こんにち僕の知っている唯一の具体的な問題だ」(P305)