とんま天狗は雲の上

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株式会社の世界史

 「『病理』と『戦争』の500年」という副題が付いている。第1部「株式会社の500年」では、東インド会社に代表される株式会社の誕生(16世紀末)からリーマンショックグローバリズムに至る株式会社の歴史を描く。南海泡沫事件(1711年)の発生に伴う株式会社の禁止と産業革命による需要拡大に対応した解禁。アメリカ合衆国の独立と蒸気機関の製造販売、アダム・スミスによる「国富論」の執筆が奇しくも同じ1776年だったこと。そして先進国の成長鈍化に伴う金融バブル。株式会社がどういう思惑と目的の中で生まれてきた制度なのかを確認することで、株式会社が内包する限界と病を指摘する。

 第2部「株式会社の『原理』と『病理』」は、2007年に出版した「株式会社という病」をリライトしたものだ。比べてみると、確かに文章は一部書き直されてはいるものの、章立てや小見出しはほとんど変わらない。その割には内容をすっかり忘れていた。「株式会社という病」というタイトルは、株式会社という制度や仕組みが人間社会を侵す病魔的な存在だということだ。しかも、人間は株式会社という「病理」から逃れられない。なぜなら、株式会社の目的は、人間にとってはいくつかある目的の一つでしかないにも関わらず、人間の目的の一つでもあるから、そこから逃れることは難しい。会社に所属している限り、個人の価値観よりも組織の価値観に支配されてしまう。

 そして現在、世界の成長が止まりつつある。新たな市場はもうほとんど残っていない。そうした状況下では、あくまで成長を追い求める株式会社という仕組みが存続していくことは難しい。「結局のところ、株式会社同士の闘争であり、国家を利用した蕩尽的な武力行使」になるのではないかというのは、筆者の暗い予想である。後者は「戦争」のことだろう。最近の米中対立の状況を見ると、それもけっしてあり得ないことではないと思わされる。

 この現状を打破するためには、株式会社ではない仕組み・方策を考える必要がある。それに対する筆者の答えはない。「株式会社とは、何であり、何でなかったかをもう一度考え直す時に来ている」(P357)と言うのだが、それよりも「会社というフレームからスピンアウトする以外に方法がないように見える」(P233)という示唆の方が有益に見える。株式会社に頼っていても、人類に幸福が訪れることはない。そのことを指摘する本である。

 

 

○アントーニオがシャイロックから借りた3000ダカットは、もし、投資した船が戻れば、難なく返済できるものだった。/だからこそ…自らの命である肉1ポンドを差し出す契約に合意したのであった。…しかし、一旦合意が成立すれば…等価交換されたという事実だけが抽出される。…貨幣の暴力性とは、本来等価でないものについて、あたかもそれが等価であ…るかのような幻想を絶えず作り出す魔力の中にあると言わざるを得ないのである。(P034)

○「会社の命令」が不条理であるのは、その命令を聞くものの価値観と、会社の価値観が逆転しているということに他ならない。…会社の目的とは、利益を最大化するということになる。…そして、その目的は私たち人間の目的でもある。ただし重要なことは、会社にとっては、それは唯一の目的であるが、人間にとってはいくつかある目的のうちの一つでしかないということである。(P230)

○ひとはなぜ、自分のものではない、組織限定的な価値観によって支配されてしまうのか。…それは…共同体への「背信」であるからである。…共同体の価値観が、自分個人の価値観と明らかに異なっている場合においても、自分がそこに帰属している限りは、その価値観から自由になれない。…もし、この価値観を避けようとするならば、ひとは会社というフレームからスピンアウトする以外に方法がないように見える。(P233)

○金融それ自体は、新しい価値を何も生み出してはいない。価値の源泉はあくまでも、ものづくりやサービスの現場から湧き出ている。その現場で、製品やサービスと交換され、退蔵された貨幣こそが金融のベースである。この行き場を失った貨幣は、銀行や投資家に預託され運用される。そして、金融市場という巨大な賭場で取引されることになるのである。/なにゆえ金で金を買うことがビジネスになるのか。/貨幣が貨幣として流通する理由は、貨幣が貨幣として流通しているからである。(P306)

○どの先進国のGDPもある時期以降、頭打ちになってきている。…まずは、グローバリズムに活路を求めたが、その限界が見えてきた。次の手は地域連合ブロックだった。そしておそらく、最後に残るのは市場に合わせた縮小再編。/しかし、こうした…行動ほど株式会社に相応しくないものはない。…結局のところ、株式会社同士の闘争であり、国家を利用した蕩尽的な武力行使ということになるというのが、今のところの暗い予想である。(P357)