とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

また会う日まで☆

 図書館で先に読んだ「水車小屋のネネ」を返して、本書を受け取った。分厚い。「水車小屋のネネ」も厚くて驚いたが、本書はさらに厚い。「水車小屋のネネ」は毎日新聞で1年間連載された小説だが、本書は朝日新聞で1年半連載された。道理で厚い訳だ。だが、池澤夏樹の文章は読みやすい。1週間かかったが、一気に読んでしまった。

 主人公は海軍軍人。生まれたばかりのところから終戦を、そして死を迎えるまでの人生を振り返る。海軍兵学校練習艦隊。軍人だが同時にクリスチャンの主人公は、聖書の教えとの相克に悩む。また海軍に所属しつつ、希望して水路部に席を置く。航海や飛行に不可欠な天測表を作成する理系の仕事だ。絶頂期は1934年、南洋諸島ローソップ島での日食観測。その後、潜水艦による重力測定。一方、私生活では、妹の死、最初の妻の死、そして再婚。

 時代は太平洋戦争に入っていく。歴史家を目指すMとの会話がたびたび挟まれる。圧倒的に実力差のあるアメリカとの戦争の見通し。初戦の勝利の後、負け続ける日本。そして東京空襲。岡山県への疎開終戦/敗戦。GHQで働き始める妻と、軍人として公職追放となり、再就職できない主人公。

 読みながら、これは誰の話だろう、と思った。妹トヨが再婚し、最初の子供・武彦は福永姓となる。福永武彦。うん? そこでようやく調べてみた。福永武彦池澤夏樹の実の父親。ただし幼い頃に離婚したため、高校生になるまで筆者はそのことを知らなかったと言う。そして主人公の秋吉利雄の実在の人物だった。筆者からみれば祖母の兄。

 だが、そうした人物の生涯を今なぜ描こうと思ったのか。たまたま秋吉の息子が所有していた資料を譲り受けたからだと言うが、明治期から戦争、そして終戦に向かう時代背景が現在の状況と著しくダブって映る。政府は嘘をつき、役人は保身に走り、メディアは煽る。そして終戦直後には文書の焼却を命令する。たびたび語り合うMは創作の人物だろう。戦争の歴史を書こうとしたMは殺され、その資料とともに燃やされてしまう。

 「また会う日まで」。これは聖歌のなかの一節だが、また会う日が近付いていないか? 再び愚かな歴史を刻まないようにしたい。今この時にも、日本のどこかで、主人公の苦悩をわがこととして悩んでいる人がいるだろうか。

 

○その後、自分の身に起こったことについていろいろ考えた。男であること、いや女も含めて人間であることにはあれがずっとついて回る。「産めよ増殖よ地に満てよ」は神の強い命令だから生きとし生けるものはみな従う。それに抗して、乱脈を避けるために第七戒がある。しかし人はそれを守らない。なぜならもっと強い促しが身体の奥から湧いて出るから。(P141)

○私がありがたいと思ったのは、矢野さんが「お母さんがいなくてかわいそうね」という類のことを一切言わなかったことです。…そんなことを言うのはたやすい。そう言うと同情の気持ちを伝えた気になる。自分がいい人のような気分が味わえる。/しかしそれは武彦の心の傷に塩を塗ることです。…慈善と偽善は紙一重です。(P248)

○「世の中というものは、あるいは国というものは、いろんな人間がいて成り立つ」と山本さんが話す。「種類が多いほど底力が強くなる。瓜生さんに会ってアメリカのことを聞いたことがある。あれは雑多な国だ、と言われた…「アメリカはいろいろな人種・民族の離合集散で成り立っている。争いは多いがそれが活力になる。日本は日本人しか登用しない。違う種類の人間が欲しい時にもその供給がない。しかも国粋主義の連中はさらに純化を求める。それでは国はポキっと折れるのさ」(P423)

○わたしの頭には無教会主義の信徒である内村鑑三さんの考えがあった。/非戦論者として、平和主義者として、開戦を避けるように精一杯訴える。/しかし一旦戦争になった時は徴兵を忌避してはいけない。…それを忌避すれば同じ立場にある誰かが代わりに銃弾を受ける。/悪を克服するのは善の行為である。戦争では他人の罪の償いとして平和主義者は身を捧げなければならい。…だからわたしは軍人として目前の業務に励む。…そうだろうか?…内村さんは国家を論じない。あくまでも個人の魂と主との仲に終始する。(P446)

○「歴史は過去に起こったこと、ではない。過去に起こったことの記述です。従って書く者の位置によって幾通りにも書ける。この先はいろいろな歴史の本が出ますよ。過去の失敗の整理でしょう」/そう、我々は失敗したのだ。/「国を動かす者には計画がある。それを実現しようと働く。…しかし現実とは偶然のつらなりです。一歩離れてみるとそういう図が描けます。その一歩を確保して書くのが歴史家です。歴史は過去との対話ですから」(P635)