とんま天狗は雲の上

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旧約聖書がわかる本

 旧約聖書は一度終わりまで読んだことがある。だが、新約聖書の「愛の神」に比べ、すぐに怒るし、報復するし、他の民族を滅ぼす。いやイスラエルの民をも滅ぼそうとする。民族神とはそういうものかとも思ったが、やはりよく理解できなかった。

 本書は作家である奥泉光が、大学時代の恩師であり、宗教学者で元・日本旧約学会会長でもある並木浩一氏と対談を重ねながら、旧約聖書の性格や思想性などを明らかにしていく。冒頭で、旧約聖書を理解するのは「対話形式がふさわしい」と言うが、実はよく理解できなかった。並木氏がまとめて旧約聖書の解説書を書くのは大変、ということだったかもしれないが、対談形式はわかるようで、両者の理解だけで話がススッと進んでしまい、わかりづらい部分も少なくない。

 それでも、旧約聖書の、ヤハウェ神の特殊性というのが、わずかながらも理解できた。筆者らが「対話形式」に拘ったのは、ヤハウェ神が人間と対話をする神だからだ。そして、人間に自由と自主性を委ねる代わりに、けっして悪の問題に介入したりはしない。となると、神とはいったい何なのか。神頼みという言葉があるが、それは旧約聖書の神には当て嵌まらない。ただただ超越している存在。すなわち自然。人間には自由にならないもの、不条理なこと、そしてただ在って、人間を包み込むもの。そんな存在が神だと理解すればいいのか。

 旧約聖書における神の位置付け、預言者たちの役割とユダヤ社会、そしてヤハウェ神と人間の関係を旧約聖書を引用しつつ考察する第1部から第3部までに続いて、第4部では、並木氏が専門とするヨブ記の解読が行われる。応報思想を否定し、神の存在を肯定する。それはそれで理解はするが、信仰を持たない人間には、この解説をどう捉えたらいいのか、悩んでしまう。

 でもまあ、本書を読んで、旧約聖書の読み方が少しわかったような気がする。徹底的に人間に自由と責任を求める神。西洋思想のバックボーンには必ずこうした宗教的背景があるのだろう。それがわかっただけでも読んでよかったのかもしれない。なかなか難しくはあったけど、最後まで読んでみると、それなりに面白かったとは言えると思う。「旧約聖書がわかる本」というのは少し言い過ぎな感もするけれど。

 

○【並木】栄光ある祖先、神的な祖先の末裔が俺たちだ、というのが普通の理解ですね。【奥泉】しかし旧約はまったく違う。世界にはすでにいろんな人たちいっぱいがいる。そのワンオブゼムとして俺たちがいると。この感覚がすごい。【並木】しかも、人びとが多い先発の民に較べると、後発で少数者の俺たちはまったくみすぼらしい存在なんだという認識が基本ですね。そこから出発して、違う人間理解を提出する。人間は男と女の集団なのだと。(P40)

○【並木】イスラエルの特色は、王の権力から独立した知識人が形成されたということにある。【奥泉】王権から自立した知識人の政治批判の伝統が旧約聖書の独自性を生み出したと言えるわけですね。【並木】ヤハウェ神…は連合戦争神だったが、預言者はその神を「契約神」にまで理念的に高めて、契約相手であるイスラエルの民をこの神が処罰するぞと警告を発した。それができる宗教をこの民族はつくった。(P73)

○【奥泉】哲学的に考えると、神という超越者を設定することで、人間が対等に結びあい、対話的関係を可能にするような場、あるいは構造をつくりだす装置である。…【並木】もう一つ加えれば、神を信じることで神に束縛されるようでいながら、他のものを神としない、被造物を神格化しないことによって…あらゆる権威から人間を解放する。…【奥泉】そうした人間の自由が…対話の前提となる。自由がなければ対話はない。【並木】その自由が主体性をつくる。(P84)

○【奥泉】旧約聖書は全体として無垢というものに冷たいですよね。【並木】ヘーゲルの言葉だが、無垢なるものは戦いを知らない。対話を持ちえない。…だいたい人間は無垢ではありえない。幼いときから自己主張して育つんですよ。そうしないと自我は形成できない。ヤハウィストは…「幼いときから悪い」と現実認識を持っている。(P193)

○【並木】幻想を抱かない人間が理想主義者になるんだね。それがイスラエルの伝統で、預言者たちもそうなんです。…理想主義者は、理想に到達できないのだということを覚悟する。…【奥泉】なるほど。理想は必ず実現できるのだと考えるのは幻想だと。理想は実現できない。だからといって理想は捨てない。…本当の理想主義者は、理想に限りなく近づいていこうとする粘り強い運動の中に理想的意味を見出すものだ、と。(P195)

○【奥泉】悪の追放は人間が行わなくてはならない。【並木】…もし神が悪の問題に直接介入したら…全部が神の責任になる。…【奥泉】人間には自由があるし、主体性があり対話性があるから。そのかわり悪が存在することも認めなくてはいけない。…【並木】そう。ここで神が介入したら…人間が歴史に責任を持つことができなくなる。結局、主体性を放棄する。主体性を支える柱は歴史に対する責任感覚なんです。それが揺らぐと、自由はなくなってしまう。(P402)