とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

歴史学者という病

 本郷和人は、テレビのバラエティ番組でもよく拝見する。ただ、これまで彼の書いた歴史書を読んだことがなかった。一つの歴史事象について徹底的に調べて解き明かすというよりも、歴史全般を対象に、トリビア的な事柄を披露しつつ、独自の視点から日本史を語る、といった内容の本が多かったのではないか。テレビで見る語り口には好感を持ってはいたが、本を読もうとまでは思わなかった。だが本書は、タイトルを見る限り、日本史を語るというよりは自分の半生を語るという内容に感じた。そこで初めて筆者の本を手に取った。気楽に読めるかな、という意味で。

 期待に違わぬ、まさにドンピシャの内容。しかも、半生を語りながら、現在の日本の歴史学の位置を明らかにしている。物語としての歴史から科学としての歴史学皇国史観マルクス主義史観→四人組の時代(実証主義歴史学)という歴史学の流れ。そして日本の歴史学の現在地と批判。単純実証を越え、唯物史観を越えて新しい史観へ。そしてそのためにこれからの人生を「ヒストリカル・コミュニケーター的な仕事に捧げよう」と心境を吐露する。

 本郷和人という学者が、歴史学界隈でどう評価されているのかは知らない。異端的な扱いなのかもしれない。それでも自らの立ち位置をちゃんと見据え、取り組む姿勢は素晴らしいと思う。またそれだけの知識やノウハウ、才能、個性を有しているように見える。これからさらに多く、テレビなどで拝見する機会が増えるだろうか。筆者のさらなる活躍を期待したい。

 

 

○私が勤務する史料編纂所とは…日本の歴史資料の編集を使命としているが、その最大のミッションは1901(明治34)年から今日まで続く、わが国最大の歴史資料、『大日本史料』の編纂事業だ。…『日本三代実録』(901年完成)…以降…幕末の1867年までを対象とするおよそ980年分の日本の歴史をまとめようとする壮大なプロジェクトが明治政府の手で始められた。…今日までに第1編、第4編の2編は完成しているが、…(P5)

○自分の心にすっと沁み込んだのが哲学者・評論家である唐木順三の『無用者の系譜』という一書であった。…これは…えうなきもの=生産性のない、社会の役には立たないような人間こそが、実は「自由に生きる理想的な人間像」であると論じた随筆である。…自分も、好きなことに生きる無用者でありたいと感じ入った。…私自身の人生は、世界に貢献するような何かを生み出すことはないかもしれないけれど、私自身が納得すればそれでいいのだ、という奇妙な悟りにも達したのである。(P47)

○日本の歴史学派敗戦を機に、それまでの皇国史観的な歴史学から、マルクス主義的、唯物史観的な歴史学へと大きく舵を切った。しかし、唯物史観共産主義的、イデオロギー色の強い考え方だということもあり、そこまで染まりたくないな、という研究者も結構下。…そこで彼らは明治以来の伝統を持つ、分厚い実証主義に戻っていくしかなかった―と現在の私は考えている。(P201)

歴史学の魅力について、新しい枠組みをつくり、わかりやすく伝える、社会に還元するような人間が必要ではないか…そうだ、私はこれからの人生を、歴史学という学問の魅力を世間の皆様にわかりやすく伝える―いわばヒストリカル・コミュニケーター的な仕事に捧げようと考えたのだった。…今後は、すっきりとした気持ちを持って、日本史研究の現場からの情報発信に重きを置いていこう。と、こう考える次第である。(P220)