とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ザ・シークレット・フットボーラー

 匿名のプレミアリーガーが「ガーディアン」誌に寄稿したコラムだそうだ。第1章「FIRST STEPS」から、第10章「THE END LOOMS」まで。プロ選手としての始まりから、全てを捨てて普通の生活に戻るまで、プレミアリーガーとして体験した出来事を赤裸々に描く。
 最初は独白調で書き散らす感じの文体からか、はたまた訳文のせいか、若しくは正月中で私が本書に集中できなったせいか、何を言おうとしているのかよくわからなかった。ひょっとしたらイギリス人には言わずもがなのことが省かれていたのか?
 第2章「MANAGER」、第3章「FANS」、第4章「THE MEDIA」・・・。ようやく面白く読み始めたのは第7章「AGENTS」から。ここでは筆者が信頼する覆面エージェント(代理人)が読者らの質問に答える。そして第8章「MONEY」。金は選手が強欲だから得られるわけではなく、給与を支払うオーナーがいて、選手とプレーに夢を投影するファンがいて、高額な給与が得られる。だからもらえるものはもらうと言う。それはそうだ。
 それでも、第9章「BAD BEHAVIOUR」に乱痴気騒ぎと放蕩振りにはさすがに眉をひそめる。そして最終章ではサッカー関係者の鬱病や自殺について語り、自らサッカー界から身を退く意思を綴る。ここにきてようやくサッカー選手の光と影を見ることになる。たぶん前半は自らの体験を同時進行的に綴り、最後の独白で現役サッカー選手としてのコラムを終えたのだろう。
 訳者あとがきで、筆者の正体の最有力候補としてデイヴ・キットソンの名前が挙がっている。現在、3部リーグのオックスフォードFCでFWとしてプレーしている33歳。レディングやストークでプレミアリーグをプレーしていたようだ。日本でこうしたエッセイが書かれる日が来るのだろうか。いや、イングランドだからこそ、狂気と野放図に満ちたプレミアリーグだからこそ書かれる意味があり価値があるのだろう。

ザ・シークレット・フットボーラー

ザ・シークレット・フットボーラー

●マネージャーは、選手と自分の間を繋ぐ役割を果たせる人材をキャプテンに選ぶ。序列も関係する選手間の関係性を考慮すれば、キャプテンはいつも選手の意向に沿って動かなくてなならない。ボーナスや罰金など、試合以外で選手が抱える問題にも率先して解決に動こうとする者が、キャプテンにはふさわしい。(P41)
●こうしたレベルにおいて、サッカーはもはやチェスのようなものだ。特に拮抗した試合においてはそうだ。私は時々、もっと下位のリーグのようなサッカーそのものを楽しめるのではないかと思うことがある。誰も、チェスの駒のようにプレーしたいわけではないだろう。(P91)
●私が言わんとしているのは、サッカークラブのオーナーは、選手と同じくらい給料を引き上げているということだ。選手は給料の末尾にほしいだけのゼロを要求することはできても、オーナーに支払う意思がある場合にしか受け取ることはできない。(P167)
●サッカーとは情熱であり生き甲斐であって、決して命を絶つためにあるのではない。/しかし、現実の世界は理想とはかけ離れたものだ。応援しているはずのチームの選手に対して罵声を浴びせるファンを見ると、途端に彼らとの繋がりを感じられなくなってしまう。・・・私自身は、こういった問題を「サッカーの副作用だ」と割りきって対処してきた。だけど選手たちが、ホテルで腕を切ったり、電車の前に身を投げたりすることでしかその状況から脱せられないとしたら……サッカーとは、最早ゲームではなくなってしまうだろう。(P226)
●サッカーは残酷なスポーツだ。専門家が言うような(優れた)スポーツでは決してない。・・・思い返すと、私はピッチの外の出来事ばかりに気を取られて、キャリアを傷つけてきた。高みにいけばいくほど、責任は重くなる。私がそうであったように、責任を管理できない人間が高みにいくことはきっと間違いなんだろう。(P238)