とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

愚民文明の暴走

 冒頭から「バカ」という言葉が連発される。民主主義を批判し、左翼を批判し、そして右翼も批判する。彼らにとっては、人間は誰もみなバカに見えてしょうがないらしい。他人を「バカ」ということが失礼でもなんでもなく、当たり前のことと思っている。
 でもそんな調子で語られる対談集を喜んで受け入れることができるのはどんな人だろうか。少なくとも私は、彼らの言葉は鵜呑みにしてはいけないと強く肝に銘じた。
 確かにポピュリズムを批判し、キリスト教を人間本来の神への意識から断絶させた人工的なパウロ教だと断じ、近代啓蒙主義を批判して本来の保守主義のあり方を述べる彼らの言説は正しいかもしれない。
 しかし、それで民主主義を批判し、哲人政治を志向するのは、理解はするが結局、理想論に過ぎない。哲人などいないのだから。だからこそ「民主主義は最悪の政治形態だ。これまで試みられてきたあらゆる政治形態を除いては」と言われるわけだ。
 結局、彼らは衒学ぶってあらゆるものを批判し、だからといって自らが指導者になる気概もなく、外野で吼えているだけの数多いる知識人と何ら変わらないではないか。愚民文明は暴走する。自分らは現政権者とうまく関係を持ちつつ、高みから文明崩壊を眺めて、「バカは死んでも治らないですなあ」とほざく高等遊民。そういう人間が一番嫌いだ。つまらない対談集を読んでしまった。いや、彼らがそういう人間だとわかっただけでも収穫だった。

愚民文明の暴走

愚民文明の暴走

●大衆運動はいくらでも暴走する。だから正義でさえ法によって制限しなければいけないと考えるのが正常な人間です。(P41)
●自信を持っている民族は、自分たちの誇りのために神を祀る。その神とは民族の価値や美意識を投影したものなのですね。だから当然、矛盾もある。・・・その本来の神を歪めたのがユダヤ-キリスト教であるというのがニーチェの見取り図です。外部からの侵略を受けてユダヤ民族の希望が失われたときに、ユダヤ民族がやったのは神をつくりかえることだったと。・・・あらゆる具体的なものを切断して「徳」という抽象に取り込んだ。このカラクリを使って、人工的に作られたのがキリスト教です。(P62)
●僕は政治の技術として大衆扇動は必要だと思っている。・・・大衆をどのように束ねるかというのは技術的な問題であり、本来の社会の指導者は、そちらにエネルギーを使うべきではないと思う。・・・もっとも、そのエリートが大衆扇動の技術に力を注ぎ過ぎて、さらに大衆扇動が自己目的化してしまい、しかも、扇動しているつもりで、自分自身が扇動されているようでは指導者として意味がないんだよね。(P136)
●日本の神は、キリスト教と違って、現世から切り離されたものではありません。絶対的な存在でさえない。神とは民族の美意識や歴史を投影させた場所のことであり、そこに天皇が座っているという話です。つまり、それは人間という姿の天皇陛下でなくてもいいわけです。だからこそ、天皇陛下は神なんですよね。(P169)
●長いスパンで考えたときに、人類は民主主義を廃棄し、哲人政治、賢人政治を目指すべきだと考えます。・・・司法も行政もエリートが扱うべき領域だし、実際にそうなっている。・・・それに対して、きわめて異質な、人工的な、理念的な政治制度を唱えてきたのが近代でしょう。その限界がすでに見えている。・・・上層部において「徳」が維持されなければ、社会は腐っていくんですよ。(P191)