とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

鳥肌が

 「PHPスペシャル」って雑誌かな? 検索すると「PHPの月刊女性誌」とある。あえて女性誌としなくてもいいと思うけど、そんな男女区別をするところがPHPらしいのかも。僕は嫌いだけど。それはさておき、その雑誌に「鳥肌と涙目」として連載していたエッセイを収録したもの。女性って、男性のこうした弱さを読むのが好きなんだろうか。

 先日、講談社エッセイ賞を受賞したとして紹介した作品だが、「野良猫を尊敬した日」とは違い、個人的な感情というよりも、万人共通な「こわさ」一般を扱っているので、もう少し客観的に、そうそうあるある、といった感じで読み進めることができる。それでそうした「こわさ」を感じることができる穂村弘の感性に共感する。それが女性受けする理由だろうか。

 僕も多く共感できる話は多い。基本びびり、というか、穂村弘の感性や性格には私と共通する部分が多いと思う。しかしそれゆえにこそ、却って、これまでのエッセイに対して忌避感を持ってしまう。

 まあ、また面白そうなエッセイが発行されたら読んでみようか。楽に読めるし、共感するけど、それで得るところは心の安定かな。そんなに多くはない。

 

鳥肌が

鳥肌が

 

 

〇この歌の底にあったのは、永遠に盲目的な母性愛のこわさなのだ。/だが、死がこわいのはわかるとしても愛がこわいのは何故だろう。・・・母性愛に関連してひとつ思いついたのは、「死んだ後」の世界と「生まれる前」の世界の関係だ。・・・両者は似ているんじゃないか。人間が「死んだ後」は「生まれる前」の世界に還ってゆく、というようなイメージも比較的自然なものとして流通しているように思う。/そして、「母」という存在は、「死んだ後」に直接結びつくものではないが、しかし、「生まれる前」とは大きく関わっている。・・・母性愛のこわさは、この絶対的な事実と関連しているんじゃないか。(P15)

〇子供を思う親心が、正しさを教えようとする書物が、視聴者に好感を持たれようとするテレビが、よってたかってそんな風に教え込んだのだ。子山羊はぬいぐるみのように可愛い、ベッドシーンはロマンチック、「千人針」には思いがこもる、と。それらは嘘というわけではない。でも、現実の全てを表してはいない。イッてしまった目やぬるぬるの性器や無数の虱を、いつの間にか覆い隠してしまうのだ。/何かの拍子に、そんな「我々の日常」の皮がべろっと剥けると、その下から見たこともないものが顔を出す。うわ、なんだこれ、こわい。でも見つめずにいられない。だってその正体は怪物でもお化けでもない。ただの現実だからだ。(P53)

〇苦しんでいる友人に、どうすれば少しでも元気を出してもらえるか。そのことについて、おそらくは彼女なりに考え抜いて、その一冊の絵本を選んだに違いない。しかし、それが裏目に出てしまった。・・・結果からいえば、お見舞いの品は普通に消費できるものの方がよかった。・・・それが善意や励ましの気持ちからであっても、誰かの心に「言葉」を贈るのはこわいことだと改めて感じた。音楽や絵画と違って、「言葉」は意味から自由になることができない。それを見たり聞いたりした者の心には必ず「意味」の解釈が入り込む。そこに致命的なズレが生じる可能性があるのだ。(P187)

〇苦しみとおそれは違う、と思う。苦しみには実体があるがおそれにはない。おそれは幻。ならば、おそれる必要などないではないか。おそれてもおあそれなくても、苦しむ時はどうせ苦しむんだから、その時に初めて苦しめばいい。・・・と思うけど、できない。どうしても、その手前でびびって消耗してしまう。・・・これまでの自分の人生に本当の苦しみはなかったと思う。ただ、幻に怯えていただけだ。(P247)