大和書房のホームページで連載しているエッセイを収録したもの。平川克美と言えば、内田樹の幼馴染で、東京下町の町工場の生まれであり、「経済成長という病」など、実業家の立場から新自由主義に対して批判的な論考を多く書いている。しかし本書はそうした視点ではなく、文芸的な視座から、いくつかの詩を取り上げつつ、人生を語るエッセイ集である。
引用された詩は難しいものもあるが、わからないものはわからないと言いつつ、詩人に心を寄せ、自身の経験を振り返り、人生を語る。特段の強い主張があるわけでもないが、淡々と綴る語り口には惹き付けられるものがある。それは何だろうと思ったが、それはたぶん「優しさ」だ。
本書の中で2回、取り上げられる詩人がいる。いや、谷口俊太郎や茨木のり子など、他にも何度か引用される詩人はいるのだが、中でも黒田三郎へ寄せる心情は温かい。
○一言でいえば、黒田は他のメンバーに比して優し過ぎた。/その自分の弱さと優しさにいつも傷ついていたように見える。(P143)
「それでもおれたちは生きていく」というエッセイの中で、そう取り上げた黒田を、別のエッセイ「魂の居場所」でもう一度、取り上げる。
○黒田が南方の戦線に旅立って、そこで目にしたものは、全く理不尽なものであったに違いない。/そこには、夥しい死があり、…そうした場所に、最も不釣り合いな人間として、黒田が戦場に就いたのだった。…黒田は戦場にいたときの茫然自失した、末期の目を持ったまま帰還した。…彼の身体は確かに、平和な日々へと帰還したが、彼の魂は南方の島に取り残されたままであり、ついにそのまま逝ってしまった。(P210)
と言うものの、平川が読んだ黒田の詩は、帰還した平和な日々に詠まれたものなのである。悲惨で理不尽な経験をした者が故の「優しさ」。
「優しさ」について、別のエッセイではこう書いている。
○わたしはこれまで、何頭も犬を飼ってきたが、猫に道を譲った犬を見たことがない。これほど臆病な犬に出会ったのははじめてだった。/ただ…これほど優しい犬も珍しかった。…「まる」は強くなく、ただ優しいだけが取り柄の犬であった。/わたしは、この「弱さ」こそが「まる」の最大の取り柄なのだと思うようにした。(P82)
この「まる」という犬には、首のまわりに虐待を受けた痕が残っていた。
経済書を読んでも感じることだが、平川氏の最大の魅力は、その「優しさ」にあるのだと思う。弱者を見る「優しさ」。弱者と共にいる「優しさ」。自らに弱者を感じる「優しさ」。そんな感性があるからこそ、彼の書くエッセイは魅力的だし、読んで心が落ち着き、励まされる気がする。「見えないもの」には彼の「優しさ」が投影されているのかもしれない。
○あってもよかったし、なくてもよかった小さな偶然…しかしわたしは、このどうでもよいような出来事を、何か特別な秘密でも発見したかのような気持ちで眺めていたのである。/世界の無名性。あるいは偶有性。/どうでもよいことの中に、本当はとても大切なことが潜んでいる。…こうしたどこにでもある、ほとんど本質的でないような事物の織物のような世界にわたしたちは生きている。(P43)
○差別するものは、他者を貶めることで自己承認してもらいたかったり、自分の鬱憤を晴らしたかったり、自分が差別されることの恐怖から逃れたいという欲望に支配されていることに、気づかない。…その卑小な自己承認欲求を見つめることからしか、本当の反省も始まらない。…同じ過ちを犯し続けるのが人間の本性だとするならば、何度でも反省をし続けることも人間の本性だろう。もし、反省をやめれば、人間は人間でなくなる。(P111)
○「老い」について何かを語る上で大切なことは、それを「呪いの言葉」で語らないことである。…人間なら誰にでも備わった自然の摂理の一断面であり、それを経済や、社会問題とリンクさせて語る必要はない。…そうすることで、「老い」の問題を解決できるのならそうすればよいが、わたしは「老い」を「呪いの言葉」で語ることによって問題をなおさら複雑で、厄介なものにしているように思えてならない。(P247)