とんま天狗は雲の上

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市民力を活かす

 著者の渡辺光子さんは、宮城県に生まれ、結婚して鎌倉に住み、夫の仕事の関係で横浜に移り、生協活動に関わって、地域政党の設立に関与。3名の市議を送り出し、自らも県会議員を経験。その後、「家事・介護ワーカーズ ふれあい」を設立。2003年には当時の浅野宮城県知事の要請に応え、NPO施策等を担当する宮城県環境生活部次長に就任。現在は鎌倉で「鎌倉市民フォーラム」代表として、また主婦として生活している。
 こうした経歴を背景に「NPOと自治体の協働論」をテーマに博士論文を執筆。本書はこの論文をベースに書かれている。
 NPO法の制定とともに、NPO設立がブームとなり、私もいくつかのNPOに関わってきたが、世界同時不況、そして民主党政権以降、NPOに対する関心も落ち着き、また取り巻く環境も変化してきたのではないか。そんな思いがあって、久しぶりにNPO関係の本を手に取ってみた。
 第1章はさまざまなNPOの紹介でそれほど目新しいことはない。第2章の「NPOと自治体は何のために協働するか」も、旧来の行政と対峙するNPO観から抜け出ていないような気がして、必ずしも面白いわけではない。しかし、経験を交えた文体は読みやすく、すいすいとページが進む。
 「第3章 イギリスとアメリカの非営利セクターに学ぶ」と、それを踏まえた「第4章 伝統的な公と新しい公共の担い手」で「公共の福祉」の担い手として、行政とNPOを並列で捉える見方が出てきて、ようやく我が意を得たりという気分になった。
 民主党政権になって以降、行政に過大な期待と責務を負わせるかのような政策が気になる。小さな政府論に与するつもりはないが、公共は本来市民の協同により担うもので、行政はそのための組織の一つに過ぎない。NPOは自治体と並んで、公共の福祉を担う主体の一つだが、行政の補完たり得るものはNPOだけではない。「公共が行政の専有物ではなく、行政セクター、NPOセクター、営利セクターの三者によって担われている」(P156)と書かれているが、営利セクターの公共的役割も非常に重要であると考える。
 こう考えるとき、NPOセクターと営利セクターを分けるものは組織形態であり、公共性の観点から見れば、活動内容こそが重要であって、組織形態にあまり意味はないのかもしれない。
 NPOに関する論文であり、NPOを特別視するのはやむを得ないところはあるが、「新しい公共」論からは、行政以外で行われる公共を一括して見る視点が必要だし、そうすると「行政は何をすべきか、どこまですべきか」という議論にも発展する。
 振り返ってタイトルを見れば「市民力を活かす」とあるが、何に活かすのか明確に書かれていない。もちろん「行政に活かす」では、筆者の意図に反するだろうが、「公共に活かす」でも片手落ちのような気がする。「市民力が全て」ではないだろうか。

市民力を活かす

市民力を活かす

NPOと自治体の協働といったときに、NPOと自治体それぞれは「公的サービスを担う異なる主体」という表現がよく使われます。「公的サービス」が「公共の福祉」と同意語として使われているのであれば、問題はないでしょう。・・・しかし、公共事業公共サービスと同じ意味で「公的サービス」と表現しているのであれば疑問が生じてきます。自治体がこれらの担い手であることは間違いありませんが、NPOはこれらの”恒常的な”担い手ではないかもしれないからです。(P67)
●私は、「公僕」という言葉は差別用語であり、使用を控えたいと考えています。・・・公務員は、法令、計画、市民意見に則り、首長や議会が決定する予算や政策を執行する役割を担っています。公務員は市民の事務局であり、市民の上でもなければ下でもないのです。公務員も市民であり、主権者でもあります。(P109)
●資本主義と民主主義を発達させてきたアメリカ社会は、競争に伴う格差を是正するための公共の福祉を、政府と非営利セクターという二つのシステムで維持してきたのです。その意味でいえば、現代の「市民の、市民による、市民のための政府」は、単に行政機関としての政府への市民参加を示すのではなく、市民によるNPOの設立と活動、そこへのボランティアや寄付といった、人々のより直接的な社会貢献を含めているのだということがいえるのです。(P125)
●明治以前から日本各地の存在した篤志家による福祉・教育・文化の力を借りずして、明治政府は公共施設や公共サービスを十分に提供することができませんでした。・・・地域で古くから営まれてきたこれら住民の自治組織は、1章で揚げたNPOの五つの要件、①組織であること、②政府からの独立、③非営利、④自己統治、⑤自発性のすべてを有していたのです。明治政府は、こうした伝統的な住民の自治組織を旧公益法人制度によって政府下においたのです。(P138)
●本来は市民がやれるところは市民が行い、できないところを行政が担う、という順番になるべきです。また、行政の方がしたいと思っても予算や職員の関係でできないことがあります。・・・そこに協働が生まれることが自然です。そして、究極的には行政は小さくなり、NPOセクターの役割が大きくする方向に行くべきだと考えています。(P159)