とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

富山は日本のスウェーデン☆

 「幸福の増税論」を皮切りに、今年なって井手英策の本を続けざまに読んでいる。井手英策は自身も自覚しているように、2017年の民進党政策立案に参加して以来、すっかりリベラルな学者という評価が定着してしまったようだ。本書もタイトルだけを見れば、富山におけるリベラル的な政策を紹介する類いの本かと思ってしまう。だが富山が保守大国ということは井手氏も本書の冒頭で言っている。「富山は日本のスウェーデン」というタイトルは、富山県の保守的な政治や風土によって育まれてきた現状が、スウェーデンなどの社会民主主義的な政策が目指している理想に近いということを言っているのであり、どうしてそういうことが起きるのかという点について富山を調査することで考察するという趣旨の本である。

 主義や思想はどうあれ、自由で公正で連帯できる社会に向かうための「公・共・私のベストミックス」への模索と闘いが保守王国の富山で続けられ、成果を挙げている。一方で、その内側では女性抑圧や地域社会の柵などの現実があることも忘れてはいない。だから、富山方式を称賛するだけの本ではなく、こうした現状を見つつ、今後の政策について考える問題提起のための本だ。

 一部では本書に対する批判(例えば「『富山は日本のスウェーデン』ではない。自民党の家族観・女性観と変わらない井手英策氏の『富山モデル』:wezz-y」)もあるようだが、そもそも井手氏は「富山モデル」と称賛してはいないし、「自民党の家族観・女性観の中から生まれた『富山モデル』をどう評価すべきか」ということをまさに井手氏は問うているのではないか。そして向かうべき方向は「公・共・私のベストミックス」。それは自民党方式でもなく、スウェーデン方式でもなく、各地の状況の中で追求されていくべきもの。そのように私は本書を読んだ。そして興奮した。

 普遍的でベストな政策などあり得ない。それでもこうして真っ直ぐに政策研究・政策提案をしていく井手氏の姿勢は高く評価したい。次の著作にも期待したい。

 

 

○富山社会に見られる「ゆたかさ」は、表面的に見れば、西欧型福祉国家社会民主主義的志向と相通じている点が多い。だが、それはヨーロッパのように福祉や教育を社会化し、公共部門が供給するという政治志向、あるいは自由・公正・連帯という社会規範の定着を必ずしも意味しない。/まず、厚みのある伝統的な社会経済基盤があり、その諸機能を地方自治体が補完し、かつ公共部門への人びとの依存を全体として抑えながら、一見すると社会民主主義的に見えるような生活の好循環が実現されているのである。……富山を「保守的な社会だ」と斬って捨てることは簡単だ。……だが……保守的だと切り捨てる前に、保守的なものの内側で起きつつある変化の兆しをうまくつかまえ、より、自由で、公正で、連帯できる社会をめざすことは論理的に可能だ(P74)

舟橋村はこれまでのような福祉や教育などの「サーボス・プロバイダー」から、共助、助けあいの「プラットフォーム・ビルダー」へと姿を変えようとしている……彼らは公共投資を土台に人間と人間のむすびつきをつくろうとしている。……行政サービスを民間事業者から見ても価値のある投資対象に変えようとしている。また……長期的に見た行政コストを下げるという視点も加わっている。/いわば、住民ニーズをみたすために社会資源を総動員する、「公・共・私のベストミックス」を模索するための闘いがつづけられているのである。/こうした動きは、共生を重視し、みんなのため、子どものためなら「ひと肌脱ぐ」こともいとわない、そんな「富山らしさ」の新しい表現のようにみえる。コミュニティに任せる・丸投げするではなく、関係をつくる、という視点への転換だ。(P171)

○人口が増え、経済が安定的に成長し、将来をある程度予見できる時代はよかった。だが、それらの前提がくずれたとき、人びとは生存と生活の不安におびえはじめることとなる。/すると、公であれ、共であれ、私であれ、人間はみんなのニーズを満たしあうために協働を始める。そのことを富山の人たちは教えてくれている。……社会主義社会民主主義保守主義、家族主義といった器の問題ではないのだ。……社会化や普遍主義化を余儀なくするような時代の条件変動がいま起きはじめている。そしていま僕たちは、僕たちがどう生きていく、暮らしていくために必要なものごとをどのように社会化し、普遍化していくかをするどく問われている。(P211)