とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

希望を捨てる勇気

 タイトルの「希望」に関する記述は文中にほとんど現れない。「おわりに」の一番最後、本書の最後のフレーズで「今の日本に足りないのは希望ではなく、変えなければ未来がないという絶望ではないか」(P243)と書かれている部分くらいではないか。
 本書は「希望を捨てる勇気」、すなわち「希望を捨てればよりよい未来が待っている」ということを述べた本ではなく、「このままでは絶望的な未来しか待っていない」ということを主張するための釣りタイトルである。
 編集者が思いついたタイトルだろうが、書かれている内容は昨今の経済状況を分析した経済書である。経済学の本として読めば、前半は現在の経済状況について経済学的見地から噛み砕いて説明されており非常にわかりやすい。
 しかし、最近20年間の経済停滞を説明する第5章・第6章辺りから次第に、経済学素人を置き去りに説明も専門的になり何を言っているのかよくわからなくなる。これは「なぜ世界は不況に陥ったのか」でも感じたことだが、結局、現段階ではこの状況を十分解明し切れていないということなのではないだろうか。
 しかしだからといって、現在の経済政策や経済構造の延長線上では、日本の未来が開かれることはないという予測はそのとおりだろう。筆者がもっぱら主張するのは、雇用政策の柔軟化・自由化である。現在の民主党政権が進める非正規雇用規制を転換し、経済界に巣くう年功序列・終身雇用制度を是正し、官僚社会主義を破壊することを求める。そこにしか日本経済を立て直す道はない。欧米各国はそうして80年代の石油不況を脱却したが、日本だけが経済的な構造変革を果たすことなく今に至っており、それがリーマンショック以降の世界同時不況の中で、日本だけが長期の低迷から抜け出せないでいる原因であると言う。
 たぶんそのとおりだろう。民主党、特に政権中枢にいる面々はその辺りの認識が十分ではないかもしれない。が、筆者がブログで主張するような現状批判的な姿勢ですべてが好転するとも思えない。池田信夫氏の言わんとすることはわかるが、その見下した態度は人間的にはあまり好きにはなれない。

希望を捨てる勇気―停滞と成長の経済学

希望を捨てる勇気―停滞と成長の経済学

●今われわれが直面しているのは循環的な不況ではなく、かつて啄木が垣間見たような大きな変化の始まりかもしれない。それは成長から停滞、そして衰退へという、どんな国もたどったサイクルの最後の局面だ。それに適応して生活を切り詰めれば、質素で「地球にやさしい」生活ができる。日本は欧州のように落ち着いた、しかし格差の固定された階級社会になるだろう。ほとんどの文明は、そのようにして成熟したのだ。明日は今日よりよくなるという希望を捨てる勇気をもち、足るを知れば、長期停滞も意外に住みよいかもしれない。幸か不幸か、若者はそれを学び始めているように見える。(はじめにP4)
●主観的な善意と結果の正義は、必ずしも一致しない。地獄への道は、しばしば善意によって舗装されているのだ。(P26)
●与えられた目的に資源を集中する漸進的変化には経営者や労働者などの内部者による管理に適しているが、組織や資本の再構築をともなう大規模変化には株式資本主義によって所有権の移転を行うことが合理的なのだ。(P168)
●戦後の日本は、高い成長が持続し、競争力の高い製造業が創造した富を再分配することが政治の役割だった。・・・しかしこの構造は90年代以降、決定的に変わった。成長のエンジンだった輸出産業の競争力も、グローバル化によって脅かされている。この状況で昔ながらの「分配の政治」を続けると、将来世代から現在世代への所有権移転を行う結果になる。日本の若者の閉塞感の原因になっているのは、このように高度成長の果実を食い逃げしようとする団塊世代への不信感だろう。/いま必要なのは、このような不公正で非効率な経済構造を是正することだ。・・・長期停滞の根源には、本書で見てきたような・・・将来への不安がある。これを払拭するには、すべての人にチャンスがあり、努力すれば報われるという希望を取り戻し、活気のある社会にしなければならない。(P242)