とんま天狗は雲の上

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市場の倫理 統治の倫理

 「リスクに背を向ける日本人」で紹介されていた。いや、山岸氏の主張の多くは本書によると言っても過言ではない。しかし建築・都市計画関係者には「ジェイン・ジェイコブズ」という名前の方が目に止まる。名著「大都市の死と生」の執筆者として。
 「大都市の死と生」を読んだ時には、夫が建築家という以上の情報はなかったが、こうした著作を執筆する者とは思わなかった。それ以上にまだ生きていたのかという驚きの方が大きい。Wikiを見ると、2006年に亡くなっているが、この本を執筆したのは1992年。なんと76歳。そして90歳で永眠している。その旺盛な活動力と知性に感服する。
 本書での主張は、山岸氏が紹介していたように、「人間社会の行動原理として、取引と占取があり、これに呼応して二つの倫理体系、市場の倫理と統治の倫理がある。この二つを混用することで混乱が生まれ、時に不正や停滞、システム的腐敗が発生する」というもの。
 しかしこのことは、本書のかなり早い段階、第2章でそのアイデアが示され、第5章までに二つの道徳律の特徴が豊富な実例とともに語られる。しかしそこにとどまらず、本書ではこの二つの道徳律をいかに生かし適用していくか、道徳的腐敗や混乱に落ち込まないためにはどうすればよいかを議論していく。
 そう、まさに議論するのだ。本書を手に取って最も驚いたことは、本書が対話形式で綴られていることだ。出版人、犯罪小説家、弁護士、環境運動家、生物学者、そして早々と退席するが、金融破綻に直面する銀行家の6名が集まり、出版人の巧みなリードの元で、道徳律と社会の問題について議論を進めていく。
 進め方も興味深い。問題提起の第1回会合に続き、約4週間の間を置きつつ、次回報告者を指名して計5回。そして最後には二つの道徳律に並立して対応していく方策にたどり着く。それが自覚的倫理選択である。我々はその時々でいずれかの道徳律を誤りなく選択し行動することが求められる。それはかなり難しいことだが、さもなくんばカースト制に拠らざるを得ない。最近とみに「世襲制の方が楽なのに」と思うことが多いのはこのことを現しているのかもしれない。
 いずれにせよ、これからの社会を生きていくにおいて、二つの倫理の使い分けは非常に重要であり、かつ選択肢を明確にしてくれる。人生の指南書としても有益な書物である。

市場の倫理 統治の倫理

市場の倫理 統治の倫理

●個人の権利を発明したのは、支配者でも哲学者でもない。自然でもない。・・・身分に関係なく、個人は個人として権利を持つというこの奇妙な考え方は、中世の農奴が『都市の空気は自由にする』という言葉で表していたものよ。都市にたどり着き、そこでの風変わりな慣行に従う約束をすることで、農奴は身分法の支配を脱し、契約法の世界に入ることができたのよ。(P58)
●暮らしを立てるには取るか取引するしかないという事実には変わりがない。市場の倫理と統治の倫理という二つの道徳律は、一方は取引することの、他方は取ることの長い経験を通じてつくり出されてきた、生きていくための仕組みだと私は考えるようになったのよ」(P75)
●権力者や全体主義的支配者は、・・・統治者にとって正しいことがすべての人に正しいという前提で行動する。それが大間違いなのよ。(P132)
●芸術の起源は取引や占取から独立で、そのことが芸術を独自の存在たらしめている。(P174)
●よい共生とは次のようなものだ。統治者は政策を法制化し、実施する政治的責任を負い、商業は革新的手段でこれに対応する責任を負う。(P256)
●デモクラシーが単に投票するということ以上の意味を持つところでは、多くの市民が公の仕事にパートタイムで携わる。・・・主張や運動を推進する人もいる。・・・準公共機関で理事会メンバーになる人もいる。市の審議会や何やかやに参加する人もいる。こうした仕事には統治者型道徳が必要よ。特に商取引してはいけないわ。でもパートタイムで公共の責務に就く多くの人は、商業活動で生計を立てているでしょう。だからこそ、こういう人々は統治と商業の区別を自覚し、どちらかの倫理を選択してこれを守る必要があるわ。(P295)
●従来、私は政府、良い政府とは文明化の過程においてそれを推し進める主要な力だと思っていた。しかしいまでは政府は本質的に野蛮なものだという気がする。その起源において野蛮であり、いつも野蛮な行動と目的に走りやすい。といって誤解しないでもらいたい。政府は必要だ。ただ、政府は自力では自らをすら文明化する力はないと思うのだ。/だから、政府以外に文明化を推進する機関が必要だ。商業生活における暴力、詐欺、恥ずべき貪欲と戦い、一方で同時に私的計画、私有財産、人権の尊重を統治者に承認させる統治・商業の共生こそそれだ。道徳的には相反する取引と占取が相互に支え合うこと、そのことが両者の活動とその派生的な行動をコントロールする。そこで、文明についての有用な定義が得られる。すなわち、統治と商業との共生をなんとか達成できれば、それが文明というものだ(P309)