昨今、「イスラム国」など中東を中心とするニュースを聞く機会が多くなっている。そして筆者である宮田律氏をテレビで拝見することも多い。本書は紀元前3000年のエジプト文明、メソポタミア文明の時代から、アッシリア、ペルシャ、オスマン帝国などを経て現在に至るオリエントの歴史を俯瞰して解説をしていく。
この地域はオイルショックの時代、そしてその後もイラン・イラク戦争やクウェート侵攻、イラン戦争、イスラエル問題、最近のイスラム国まで、紛争の絶えない地域であり、9.11テロ以降はイスラムに対する印象も相当に悪化している。しかし本書では、イスラムに流れる「寛容」の精神こそ、この地域の宗教的、民族的な精神であり、それを破って現在の状況にしてしまったのは「非寛容」で国益を第一に行動した西欧諸国であると指弾する。サイードが言うとおり、「オリエンタリズム」がオリエントを壊した、と。
ゾロアスター教の開祖「ゾロアスター」はニーチェの書いた「ツァラトゥストラ」と同じ人物だということすら私は知らなかった。オスマン帝国が第一次世界大戦後まで存続したということも、イランの国名が「アーリア」に由来して1935年にペルシャから国名変更した事実も。そもそも我々はあまりに中東の歴史について知らなさ過ぎる。オスマン帝国は最大時、ハンガリーやブルガリアなどの東欧諸国、ギリシャ、ウクライナ、東はアフガニスタンやパキスタン、そして北アフリカまでを含めた大帝国であった。そしてそれを許してきた統治の精神こそ「寛容」である。
第3章「侵食されるオリエント」、第4章「崩壊する文明」で、ここまで隆盛を誇ったオスマン帝国が次第に蚕食され、分割され、崩壊していく過程が詳細に描かれている。そしてそれは今も続いている。最終章では「オリエントという希望」と題して、「寛容」の精神を元に、情報ツールを使いこなす若者たちをかつての隊商に喩えて、将来への希望を語っている。すぐには無理かもしれない。だが「寛容」こそオリエントを再生する鍵となる。「オリエント共存の知恵はこの地域の過去の歴史的発展の中にあるという気がしている」(P287)と綴られている。早くそれが現実のものとなることを期待したい。
オリエント世界はなぜ崩壊したか: 異形化する「イスラム」と忘れられた「共存」の叡智 (新潮選書)
- 作者: 宮田律
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2016/06/24
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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○「我、よいこと思う。ゆえによい我あり」/これはゾロアスター教の経典『アヴェスター』に記された言葉だが、まさにこの「善行」に収斂される宗教的支柱こそが、アケメネス朝の「寛容」の精神を生み出したといっていいだろう。・・・ユダヤ教、キリスト教、イスラム、さらには仏教という、現在の巨大宗教、そのいずれもがゾロアスター教に強い影響を受けているのである。(P50)
○イスラムでは本来、その徳として「寛容」の心を説く。・・・イスラムの聖典コーランでは宗教に強制があってはならないと説き、その宗教的な寛容性は「タサームフ(相互寛容)」という言葉で、異教徒にも求めた。/イスラムでは貧者、孤児、女性、奴隷など、弱者に対する保護も重視されていた。・・・帝国間の争いによって不遇な環境に置かれていた人びとが、まさに望んでいた社会の体現である。したがってイスラムの誕生はいわば一つの民衆運動であり、あらたな政治の動きであった。(P78)
○オスマン帝国の権威、文化、宗教的統治は次第に消え失せ・・・ヨーロッパ植民地主義に対抗できるイデオロギーや運動はついに現れなかった。それは「寛容」のもと、多くの価値観を受け入れてきた国の宿命だったのかもしれない。・・・オスマン帝国末期にヨーロッパ諸国がキリスト教徒のナショナリズムを煽ったことは、払拭できないほどの敵対感情をムスリムとキリスト教徒の間にもたらすことになった。(P141)
○ミッレト制は、国家の統治としては、これほど緩いものはないかもしれないが、国家の安定を優先するならば、種々の民族、宗教、それぞれの価値観を認め合うこのシステムは、「オリエント」が導き出したひとつの答えであり、いわば土地に住む彼らが、歴史の中で積み上げてきた知恵と経験の賜物である。そこに突然ヨーロッパ勢力が、一方的な価値観で踏み込んできたとき、絶妙に保たれていたバランスが次々に崩れてしまうのは、ある意味当然であった。(P158)
○オリエントの若者たちが、ソーシャルメディアなどを通じて世界の若者たちと「自由」や「社会正義」、「イスラム」と「キリスト教」などの価値観をいっそう共有していけば、ヨーロッパ植民地主義がつくった「国境」という垣根を越えて、世界がポジティブに変容していくことは十分考えられるだろう。現在の情報ツールを使いこなす若者たちは、かつて物質とともに人々の価値観も運んだ隊商を彷彿とさせる。あとはそれを支えるキャラバンサライを”誰”が、”何”が担うかである……。(P286)