とんま天狗は雲の上

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力なき者たちの力

 2月の「100分de名著」で取り上げられた。すぐに図書館で予約したが、コロナ禍もあって、ようやく順番が回ってきた。わずか150ページの薄い本だが、内容はしっかりつまって、難解でもある。「100分de名著」を視たおかげで理解が進んだ。

 本書はハヴェルらによるビロード革命が成功する前の1978年に書かれ、地下で読み継がれてきたものだが、日本ではようやく2019年になって翻訳されていることを知って驚いた。だが、本書の射程は、単に共産主義下のチェコや東欧の状況だけでなく、西側の民主主義体制に対しても疑問を投げかけている。また、現在の日本や欧米各国で進みつつあるポピュリズム政治についても、その対象として読み込むことが可能だ。

 すなわち、本書でハヴェルが言っているのは、政治体制ではなく、「真実の生を生きるとはどういうことか」という倫理的な問いである。ポスト全体主義の体制は、けっして一部の人びとが独裁的に政治を牛耳っていたわけではなく、人びとが日々の消費生活と平穏を優先し、「嘘の生」を受け入れたことでシステムとして完成した。それはまさに現在の我々の姿ではないか。ハヴェルは人びとにけっして大きな行動を取るように促しているわけではない。「真実の生」に生きること。それがひいては社会全体を変えるだろうと希望を語るのだ。それは当時においても多くのチェコの人びとに勇気を与えたであろう。

 6月の「100分de名著」では、カントの「純粋理性批判」を取り上げている。そこでもカントは、実践理性に従い、倫理的に生きることを求めている。何か本書に通じるような気がした。コロナ禍の中で、「倫理的に生きる」ということの意味が問われている。推奨される「新しい生活様式」に迎合するのではなく、「真実の生」として、今の時期、どう生きるかが問われている。

力なき者たちの力

力なき者たちの力

 

 

イデオロギーとは世界と関係を築いていると見せかける方法のことであり、自分は…倫理的な人間であるという錯覚を人びとにもたらし…現状への迎合を隠すことのできるヴェールである。つまり、ありとあらゆるものに用いることができる口実である。…そのため、ポスト全体主義体制において、イデオロギーは大変重要な役割を担っている。…この複雑な装置は、すべてを管理し、権力の不可侵性を何重にも確実なものとする。(P17)

○ポスト全体主義体制の本質をなすのは、あらゆる人間を権力構造に取り込むことである。もちろんそれは…「体制のアイデンティティ」のために、人間のアイデンティティを放棄させ…「自発的な動き」全体の担い手となり…そのような関係性を通して、一般的な規範をともに形成し、他の市民に圧力をかけることになる。…すべてを権力構造に巻き込むことで、ポスト全体主義体制は…人びとによる「自発的-全体主義」の装置を形成する。(P30)

○消費の価値体系にとりつかれた人間、…生き残ることしか考えず、高次の責任を意識せず、存在の秩序に根ざしていない人間は、堕落した人間である。体制は人びとのそのような堕落を拠り所にし、それを強めるが、その堕落こそ社会を投影するものとなる。…「真実の生」は、逆に、みずから自身の責任を担おうとする試みである。それは、明らかに倫理的な行為である。(P44)

○法それ自体は、決してそれより良いものを生み出すことはない。…法の意義は、法自体にはない。…より良い生は、人間が生み出すものであって、法や組織が生み出すものではない。…つねにほんとうの生を背景に置き、ほんとうの生との関連において「合法性」を見なければならない。(P92)

○生が真に目指すものという点において、西側…の…人びとはより深い危機に直面している。/実際のところ、伝統的な議会制民主主義も、技術文明、産業社会、消費社会の「自発的な動き」に対する根本的な解決を提供していない…。民主主義社会の人びとは、ポスト全体主義の社会で用いられる野蛮な手法よりもはるかに狡猾で洗練された形でたえず操られている。(P112)