とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

薄れゆく昭和の記憶「立小便」

 わが家に面して愛知用水が流れている。金網フェンスの向こう側は用水沿いの緑地になっているが、先日、そのフェンスめがけて立小便している男性を発見した。クルマで外出するところだったので何も言わずに通り過ぎたが、「今時珍しいね」と車中で妻と話題になった。
 板塀に「立小便お断り」の注意書きが書かれているのは「サザエさん」でこそおなじみだが、最近は立小便をしている姿を見ることが少なくなった。昭和年代には中年の親父はよく立小便をしていた。たぶん彼らはそれを大正・明治生まれの父親に教えられたのではないか。農家が多かった時代、農作業の合間に尿意を覚えれば、立小便するか、肥溜めに放尿するのが当たり前だった。たぶん軍隊に駆り出された兵隊たちも行軍中には立小便が当たり前だっただろう。そういえば、自衛隊は今、立小便を教えているのだろうか?
 農作業に従事する女性も立小便をした。という話を妻にしたら、エッと絶句していたが、私は祖母が立小便をするのを見たことがある。いや曾祖母だったか。いずれにせよ彼女は突如、道路脇の溝にまたがり、着物を端折って小便をして、何事もなかったかのように着物を下したのだ。彼女の年代の女性は着物の下に何も身に着けていなかった。女性がパンツ型の下着を身に着けるようになったのは昭和7年の白木屋火災事件からだという俗説があるが、祖母の立小便を目撃した昭和40年前後にはまだ明治生まれの女性は下着を着けていなかったようだ。
 だが今や男性ですら、立小便という行為を知らない若者が増えているのではないか。彼らの親というと私の世代だと思うが、山や田畑では当たり前でも、街の中での立小便はマナー違反と言われた。そもそも放尿中は無防備であるし、他人に見られれば恥ずかしい。都市化が進んだ現在、落ち着いて放尿を続けられる立小便適地が少なくなった。今や登山道ですら山ガールも多いし、都市内農地も隣接家屋からの眼が気になる。そんな行為に及ばなくても、気軽に使用できる公衆トイレもコンビニも街にあふれている。
 ということで、薄れゆく昭和の記憶「立小便」を惜しみつつ、しかしやっぱりなくなったほうがいいなと思う。当たり前だけど。いや、日本も国全体の窮乏が進み、公衆トイレの維持ができなくなるとまた立小便が復活する日が来るのだろうか。そんな日は来てほしくない。