中沢新一と國分功一郎との対談集。どちらかと言えば、年下の國分が中沢に問いかけるという形で進んでいくが、両者が同じような問題意識を持って話を展開させていくので惹きこまれていく。ただし、対談本の常で、話題がもう一つ深くなりきれず、次のテーマに移っていくことも少なくない。出版は昨年3月で、対談は2012年の1月から12月にかけて4回行なわれた。よって、國分が関わった小平市の住民投票はまだ行なわれる前だし、中沢のグリーンアクティブの活動もまだ始まったばかりだ。また、原発事故から概ね1年程度のまだ反原発デモが盛んだった時期でもある。そうした背景がところどころ透けて見えるのは如何ともしがたい。
中沢新一らしい「贈与性」の話題から、主要テーマである自然哲学の話題に移っていく。「自然」が己のうちに生成の原理を有し、それ自体として存在していると考える「イオニア自然哲学」を支持し、ハイデッガーを東洋の賢人と並べて評価する。スピノザのエチカの思想も同様のスタンスだと言う。これに対置されるのがもちろん新自由主義であり、資本主義だ。そして日本の自然観、文化風土こそこれを乗り越える思想だとする。
3つ目の対談では、「新構造主義」の創造を目指すという中沢の構想が語られる。自然や社会が複雑だということを受け入れよう、そこから考えることが必要だと語り合う。4つ目の対談では、小平市の住民投票運動を中心に政治哲学や自然哲学が語られる。國分の「来るべき民主主義」につながる対話が繰り広げられている。二人の対談は実に温かく心地良い。
- 作者: 中沢新一,國分功一郎
- 出版社/メーカー: 太田出版
- 発売日: 2013/03/08
- メディア: 単行本
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●いま多くの人々は、「贈与」という横糸を切り離してしまって、交換の縦糸だけでこの世界を構成しようとしています。しかし、これだけでは織物になりません。経済の次元でも、政治の次元でもそういう方向にどんどん突き進んでしまっていますが、一方ではインターネットなどを通じてまた横糸を繁茂させて、これを補完しようとする動きも生じています。(P35)
●日本などは、「閉じて開く」「開いて閉じる」という島的な世界の構成にすごく向いた文化風土だと思います。日本の中で形成されたものの考え方というのは、大変に自然哲学的で、ヨーロッパの形而上学とは違うベースが日常生活の中に根付いています。(P138)
●「自然史的過程」に逆行して自然的秩序の中に回帰しようとするのではなくて、自然史的過程の運動の中から原子力発電技術を乗り越える道を探さなくてはいけません。・・・僕が『野性の科学』を読んでいて非常に面白かったのは、中沢さんが「新構造主義」の創造を目指されるというお話です。一時期言われた「ポスト構造主義」ではない。構造主義をもう一度考え直し、新しい構造主義を構想する、と。(P156)
●神は無限だが閉じている。その中に神という実態の襞を折りたたむようにしてできた様態としての個物がある。そして、個物同士は一見して無関係でも互いに結び合っていて、その結びつきを通じて自らの力を高めることができる。それがスピノザの世界です。(P191)
●何でも調和させてしまうやり方は、お互いが持っている矛盾を対話しながら練り上げていくのとは違って、闘ったり議論したりするのは嫌だからとりあえず避けて(調和させて)しまうというだけで、決して前には進みません。むしろ抑圧になってしまいます。ものごとを深めていくためには、お互いが議論したり、対話したり、ときには闘争もしなければなりません。(P216)