とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

言語が消滅する前に

 最近出版された千葉雅也の「現代思想入門」が話題だ。でも、本の帯に載せられている写真がチャラい。ちなみに、本書の表紙も、スーツで決めた國分とジャンバーにTシャツの千葉が並んでいる。千葉雅也ってどんな人間なんだ。そういう興味で本書を読み始めた。

 國分の方が4歳ほど年上で同じ東大大学院総合文化研究科博士課程修了。そのせいか、國分の語りに対して、千葉が合いの手を入れる形で対談は進んでいく。対談日が書かれていない第3章はいつ対談されたかわからないが、第1章と第2章はそれぞれ、國分の「中動態の世界」と千葉の「勉強の哲学」の刊行記念イベントとして2017年に対談したものが収録されている。第3章も同時期に雑誌に掲載されており、第4章は2018年、第5章は2021年の対談。いずれも國分が明確に自身の論考を述べていくのに対して、千葉の思想などはよく見えてこない。

 千葉の書いた小説が芥川賞候補になるなど、次第に有名になってきたタイミングで本書を企画・出版するなど、いかにも幻冬舎らしいが、内容も同様にいかにも幻冬舎らしく、もっぱら國分の知恵に寄りかかるばかりで、それ以上の内容はない。唯一の救いは、本書を読むと國分の「中動態の世界」を読みたくなること。今度、図書館で探してみよう。千葉の「現代思想入門」は・・・暇があれば読むことにしよう。

 

 

○【國分】20世紀の哲学は言葉を重視する哲学だった。…そ…の根底には、人間は言葉によって規定されている存在であるという前提があった…ところが、ふと気がついてみると…言葉がわれわれを規定しなくなっている。…言葉を使わないコミュニケーションでも十分だということです。…現代では物質としての言葉という共通了解はほとんどなくなっているのではないか。(P64)

○【千葉】(エビデンスとは)ある基準からみて一義的なもの…多様な解釈を許さず、いくつかのパラメーターで固定されているもの。…それに対して言葉というのは、解釈が可能で、揺れ動く部分があって、曖昧でメタフォリカルです。エビデンスにはメタファーがない。…メタファーとは、目の前に現れているものが見えていない何かを表すということですから、見えていない次元の存在を前提にしている。ところが、すべてがエビデンスに表に現れるならば、隠された次元が蒸発してしまうわけです。(P115)

○【國分】立憲主義と民主主義は対立する。民主主義が下からの権力だとすれば、立憲主義は上からの原理であって、民主主義的な手続きを踏もうともやってはならないことを決めておくのが立憲主義です。このような、上からの原理と下からの権力のバランスで近代民主制国家は成り立っているのだけれど、いまは上からの部分が大きく揺らいでいるわけです。…だけど、これは自分たちで作ってきたものだし、維持してきたものだという形で権威が維持されるとき、それは権威主義なき権威となる。(P130)

○【國分】意志概念に基づいて、個人に過大な責任を負わせるシステムを作ったら、逆説的にもそのシステムを信じている人ほど、この過大な責任を避けたいと思うようになった。その結果としてエビデンスだけに従うマインドが出てくる。責任主体を立ち上げようとしていたゆえに、エビデンスやルールに従うことでその責任を回避するという無責任な社会が出てきてしまう。(P192)