とんま天狗は雲の上

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資本主義の次に来る世界☆

 資本主義の次に来る世界。それは脱成長による生態系の維持・安定を基本にした民主主義的な世界。本書は大きく、資本主義がいかに世界を壊すかを指摘する第1部「多いほうが貧しい」と、ポスト資本主義のイメージを語る第2部「少ないほうが豊か」で構成される。だが、その前の「はじめに 人新世と資本主義」で、地球温暖化や資源の減少など、現在の危機的な状況を語る。正直、そこはやや退屈というか、耳タコな感じがして、いまいちページが進まなかったが、本編に入って、ガラッと興味が増した。

 封建制の終わり、イギリスにおける囲い込みが資本主義の始まりとして糾弾される。封建制が崩れた後、一時的に、平等主義な社会が生まれた。が、それが上流階級による富の蓄積を阻むことが明らかになると、彼らは強引に、共有地の私物化を図り、農民たちを追い出した。ちなみに、彼らの中には「教会」も含まれる。多くの宗教が、これまでのアニミズムを排し、自然を征服し支配する人間という二元論を唱えた。プラトンもまたこうした世界観を補強した。

 そして近世に至り、デカルトが提唱した二元論に基づく機械論哲学は、教会や資本家の支持を得て、資本主義は隆盛していく。ちなみに、筆者はここで「スピノザの思想が主流になっていたら、この世界はどうなっていただろうか」(P270)と書く。脱線するが、スピノザといえば國分功一郎だ。ちょっと敬遠していたが、國分功一郎の「スピノザ」を読んでみようかと思う。

 そして戦後、植民地主義が終わった後、グローバル・サウスの国々は、一時的に、国民の福利を優先する政策を進め、3.2%の成長を達成する。しかしこれを快く思わない列強は、世界銀行IMFを利用し、構造調整計画の名の下に、成長をモットーとする再支配を進め、その結果、再びグローバル・サウスの国々は低成長と貧困に喘ぐことになった。

 人々の幸福ではなく、資本の成長を目的とする資本主義の招いた歴史と現状の指摘はかなり説得力がある。そして第2部では、人々の幸福を第一に、成長を追い求めず、不平等をなくし、公共財をコモンズ化していくための具体的な方策を語る。さらに、現状の元凶として、少数エリートに踏みにじられた政治の腐敗を指摘する。そこでは民主主義も単なるスローガンとなり、現実的には最早ない。資本主義と民主主義はセットではなく、資本主義には反民主主義的な傾向があるという指摘は正しいと思われる。

 では我々はどうすればいいのだろう。少なくとも日本では、こうした政治の閉塞状況を前に、多くの人は絶望し、投票率も低迷している。政治には何も期待できない。ただ、これ以上、世界を悪くしないでほしいと願うばかりだ。それでもグローバル・サウスなどからは新しい風が吹いてくるだろうか。ちなみに筆者はエスワティ(旧スワジランド)出身だ。未来は私が生きているうちに変わるだろうか。我々はそれを期待していいのだろうか。

 

 

○資本主義は封建制の崩壊から自然に出現したと考えがちだが、そのような移行は起きなかった。…封建性が崩れた後に生まれた平等主義の社会は、自給自足、高賃金、草の根民主主義、資源の共同管理を軸とし、上流階級による富の蓄積を阻んだ。上流階級の不満の核心はそこにあった。…貴族、教会、中産階級の商人は団結し、…ヨーロッパ全土で暴力的な立ち退き作戦を展開し、小作農を土地から追い出した。農民が共同管理していたコモンズ、すなわち、牧草地、森林、川は柵で囲われ、上流階級に私有化された。つまり、私有財産になったのだ。(P52)

○1950年代に植民地主義が終焉を迎えた後、独立したグローバル・サウスの新政府の多くは、母国を再建するために経済を方向転換し、進歩的な政策を展開した。国内産業を保護するための関税と補助金の導入、労働基準の改善、労働者の賃金の引き上げ、公的医療や公教育への投資―これらはすべて…うまくいっていた。グローバル・サウスの平均所得は1960年代から1970年代まで年3.2%のペースで成長した。…しかし、欧米の列強はこの変化を快く思わなかった。…そこで列強は介入した。1980年代の債務危機に乗じて、列強は債権者としての力を行使し、世界銀行国際通貨基金IMF)を介して…「構造調整計画」を押しつけた。(P102)

○国民1人当たりのGDPは比較的低いのに、驚くほど高レベルの福利を実現している国が数多く存在する。…これらの国々…は…質の高い公的医療制度と教育システムに投資してきた…。GDPと人間の福利との関係が、ある時点を越えると破綻するのは明らかだ。…ある閾値を超えると、成長はマイナスの影響を与え始める…ある点を過ぎると、成長は「非経済的」になる。富より「貧困」を多く生み出すようになるのだ。(P180)

○脱成長とは、経済の物質・エネルギー消費を削減して生物界とのバランスを取り戻す一方で、所得と資源をより公平に分配し、人々を不必要な労働から解放して繫栄させるために必要な公共財への投資を行うことだ。…もちろん、その結果、GDP成長は減速、停止、あるいはマイナスに転じるかもしれない。しかし、そうなっても問題はない。…不況が起きるのは、成長に依存した経済が成長を止める時だ。それは大惨事になる。脱成長は、それとはまったく異なる。…そもそも成長を必要としない経済に移行することなのだ。その経済の中心になるのは…人間の繁栄と生態系の安定である。(P210)

○現在、わたしたちが生態系の危機に直面している理由の一つは、政治システムが完全に腐敗していることにある。将来の世代のために地球の生態系を維持したいという大多数の思いは、嬉々としてすべてを使い尽くそうとする少数のエリートによって踏みにじられている。より環境に配慮する経済を勝ち取りたいのであれば、民主主義を可能なかぎり拡大しなければならない。それは、政治からビッグマネーを排除することを意味する。…長い間、わたしたちは資本主義と民主主義はセットになっていると教えられてきた。しかし実際には、両者はおそらく両立しない。…資本主義は反民主主義的な傾向があり、民主主義には反資本主義的な傾向があるのだ。(P250)

○ヨーロッパは岐路に立っていた。道は二つ。一方はデカルト、もう一方はスピノザへと続いていた。やがて教会と資本家の全面的な支援を得て、デカルトの思想が勝った。その思想は、支配階級の力に正当性を与え、彼らが世界に対して行っていることを良しとした。その結果として現在、わたしたちは二元論に基づく文化の中で暮らしている。…スピノザの思想が主流になっていたら…わたしたちは生態系の崩壊という悪夢に直面していなかったのではないだろうか。(P270)