関東大震災直後の朝鮮人暴動等のデマに触発され関東広域で繰り広げられた朝鮮人大量虐殺の事実が、多くの資料を引用してこれでもかと描かれている。朝鮮人暴動の恐怖に駆られ、警察が治安維持に動き、自警団の結成を促し、軍が出動することでさらに拍車を駆けた。そして自警団に参加した多くの一般市民によって、無差別に朝鮮人大量虐殺が行われていく。
しかし騒動が鎮静した後、その事実は政府等によって外国向けに形ばかりの謝罪と報道がされただけで、大半は伏せられ、殺人者も微罪で放免され、隠蔽される。だが人々の心の中の記憶までは消すことができない。遺骨を発掘し慰霊する市民活動などによって少しずつその事実が明るみに出始めた。最近日本で吹き荒れるヘイトスピーチに心を痛める筆者が過去の事実を渉猟し、当時の時代背景や行政等の対応を調査することで、現代の日本社会へ警鐘を鳴らすルポルタージュ作品である。
もちろん、戦前の政府や軍が民衆を高圧的に治めていた時代であり、大震災直後という混乱の中、情報伝達手段が限られていたなど、現在とは違う状況にあったことは確かだ。しかし、最終章近くで2005年のアメリカ・ニューオーリンズでのハリケーン被災の際に、黒人に対する無差別殺害が行われた事実を紹介しているとおり、現代においても関東大震災時と同様の虐殺事件が再び起こらないとは言えない。単にヘイトスピーチを忌避するだけでなく、それが「行政エリート」によって国民の生活不安から目を背けるために利用され、メディアがその先棒を担ぐことによって、社会情勢はますますあの時の状況に近付いている。
この事件を繰り返さないために必要なのは、外国人や弱者との心を通わせた交流と共感だということを、当時の朝鮮人を匿った住民の例などを紹介して訴えている。しかし一方でネットによって言動と憎しみの感情ばかりが煽られる現実。それを率先して行っているのが現在の安倍内閣ではないかという気がしてならない。
解釈改憲に関する議論が姦しい。本書で筆者は朝鮮人虐殺の事実を「感じてほしい」と訴えている。そして確かに心揺さぶられる事実が本書には多く掲載されている。しかし一方で相手は感情を攻めてくる。本書で感じた感情を、現実の交流と共感で塗り固めないと、僕らもいつ感情に押し流され、気が付くと怯える無実の外国人の前で刃物や棍棒を握っているかもしれない。そう自戒し、さらに現実を冷静に見続けていきたい。
- 作者: 加藤直樹
- 出版社/メーカー: ころから
- 発売日: 2014/03/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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●大韓帝国が日本に併合されたのは震災の13年前、1910年のことだ。この日韓併合後、朝鮮総督府の「土地調査事業」によって多くの零細農民が耕作地を奪われ、小作農に転落した。一方でこの時期は、第一次世界大戦にともなう好景気によって日本国内で労働力が不足していた。/こうして、仕事を求めて多くの朝鮮人が日本に渡り、女工や建設労働者として働くようになる。(P28)
●被害の拡大には、これを事実と誤認した各地の警察の果たした役割も大きかった。警察官がメガホンを手に「朝鮮人の襲来」を告げる光景もしばしば見られた。そして戒厳令に基づく軍の出動は、人々に「朝鮮人暴動」の実在を確信させることになった。この日から猛烈な勢いで各地に自警団が誕生する。その数は東京府内だけで1000以上。街角で道行く人を誰何しては、朝鮮人の疑いがある者は殴ったり殺したり、よくて警察に突き出したのだった。(P35)
●1929年9月8日、村人が朝鮮人を惨殺した日のことを記している。この犠牲者たちは、ほかの事例のように自警団の検問で捕まったのではない。軍によって習志野収容所で「保護」されていたはずの人々である。軍はひそかに収容所から朝鮮人を連れ出し、・・・周辺の村の人々に朝鮮人の殺害を行わせていたのだ。(P139)
●(三一独立運動後)4年にわたって育てられてきた朝鮮人への恐怖は、東京のど真ん中での白昼堂々たる「朝鮮人皆殺し」に帰結したのである。・・・惨劇のさなかにも、地方紙を中心とした新聞各紙はデマを伝え続けた。・・・韓国併合の過程でつくられた「蔑視」と、三一運動の報道によってつくられた「恐怖」は、その帰結としての関東大震災時の朝鮮人虐殺によってかえって固定化し、その後も永く、日本人を呪縛し続けた。(P188)
●暴動はデマだったし、いくらかの朝鮮人が死んだかもしれないが、万が一に備えて「治安」を守ろうとした結果だから仕方ないだろう、と言うわけである。朝鮮人の生命は最初から「治安」の中に含まれていないから、こうした論理が出てくる。/そして、彼らとまったく同室の言葉を公然と語った行政エリートを、私たちは現代の日本にも見つけることができる。(P194)