とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

グローバリズムという病

 グローバリズムを批判する本は数多あるが、平川克美がもっともわかりやすく、納得ができる。それは経済学の視点からグローバリズムを批判するのではなく、生活者の視点から、政治とは、経済とは、国民とは、国民国家とはを語っていく。われわれはグローバリズムや経済のために生きているのではなく、国民生活のために国家があり、経済がある。そのことを単刀直入に述べている。
 グローバル化グローバリズムは別物だということ、そしてグローバルスタンダード信仰の内実、国民国家と対立する株式会社の正体。後半は、特定秘密保護法に対する批判や家族制度と社会・経済体制との相関などについて語る。最終章の最後の項目は「生活者の思想」というタイトルだ。「生活者の思想は、・・・グローバル志向、経済成長至上主義の思想に対抗しうる有力な思想的拠点になるだろう」(P206)で終わる。そうなることを私も期待したい。

グローバリズムという病

グローバリズムという病

●アメリカ化というバイアスを抜いてしまえば、グローバル化というのは、ただ歴史的な自然過程を言っているに過ぎない。・・・科学技術の進展は、どこまでも一方通行で進み、立ち止まったり、戻ったりしない。それらは、必ず先行する技術の結果や成果の上に、積み上げられるものだからだ。一方、人間の生活というものは、どこまでも右肩上がりで成長したり、スピードを増したり、摂取する情報量を増やしたりといった具合にはいかない。行きつ戻りつしながら、ヒューマンスケールの中で成長し、老いていくような存在なのである。(P45)
●グローバルスタンダードなんていうものは本来存在していない。ただ、ビハインドによる自己定位を常態にしてきた日本の政府も、企業も、自分たちが何にビハインドしているかの明確な指標が欲しいのだ。そして、それがなければつくり出す。こうして、グローバルスタンダード信仰が生まれてきたのだろう。(P60)
●株式会社は、その資本と経営の分離という原理において、右肩上がりの社会を前提とした発展途上モデルなのである。もしも、出資金が増えないか、減ずるとわかっていれば、誰も株主になりたいとは思わない。株主のいないところでは、株式会社というシステムそのものが起動しない。株式会社の発明から350年が経過し、先進国において右肩上がりで経済が膨張してゆく時代が終わろうとしている。(P99)
●国家が特定秘密を持つということは、国家の安全を担保するためでありひいては国民の安全のためであると考えられている。しかし、わたしは、戦時中の日本のように、国家が国民に対して重要な情報を秘匿することで、国民を危険に晒した例は知っているが、国家の秘密がリークされたことで国民が危険に晒された例を知らない。秘密がリークされて困るのはもっぱら権力者なのであって、国民ではないのだ。(P140)
グローバリズムは・・・経済政策というよりは国際的な規模のビジネスと政治の癒着の結果考え出された、収奪のハイブリッドシステムと呼んだ方がよいだろう。当初は、政治が成長著しい経済を利用しようと目論んだが、今は成長を宿命づけられた株式会社というシステムが、政治や経済という胴体を振り回し始めている。(P156)