とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

「昔はよかった」病

 パオロ・マッツァリーノの存在は知っていたけど、あまりに軽い文体にこれまで敬遠していた。本書も書店で見かけて一度は手に取ったけど、自ら買うまでもないとまた棚に戻した。でも最近読みたい本もなく、結局本書を読むことにした。「テレビの秘密」と同じ展開。

 読んでみると面白い。明治から戦前・戦後の新聞記事や研究書などを丹念に渉猟し、いかに「昔はよかった」という言葉が危ういか、単なる思い込みのウソ八百かをこれでもかとあぶりだしていく。元は『新潮45』に連載の「むかしはよかったね?」をまとめたもので、13のテーマについて取り上げている。「火の用心は昔から迷惑だった」「治安が悪くなったというウソ」、「熱中症は昔から多かった」などさまざまな話題が取り上げられている。

 最も興味と同感の意を覚えたのは、「安全・安心」を取り上げた章。どうやら初めて「安全・安心」という言葉を使ったのは、1983年に食品添加物を一挙認可した際に厚労省などが始めた「食品添加物安全・安心・必要キャンペーン」だった模様。それに対して生協は「無添加こそ安全・安心」と逆キャンペーンを行い、一気に広まったらしい。

 最近マスコミで盛んに取り上げている「傾きマンション」事件もこうした安全・安心マインドの一つの現れ。正直言って、この騒ぎには大きな迷惑を被っている。世の中に完全に安全なものなどない。1件の欠陥マンション問題をして対応すればいいのに、どうして突然、全ての杭打ち工事は大丈夫かなんてことになるのか。それほど心配ならいっそみんな、テントの中で寝泊りしたらどうか!

 いかん、いかん、パオロ・マッツァリーノの調子がうつってしまった。「むかしの日本人はまともだった」とは思わないけど、いまの日本人は相当ひどいと思うぞ。「むかしの日本人はまともだった」と思う程度にひどいと思う。いや、むかしもそうだったのか。結局、下らないことを繰り返しているのが人間の歴史だと思ってあきらめるしかないということか。

 

「昔はよかった」病 (新潮新書)

「昔はよかった」病 (新潮新書)

 

 

 

○いまの日本人は劣化した。→むかしの日本人はまともだった。→むかしの日本人にシンパシーを感じる私は、まともで劣化していない。/なんの根拠もないエセ三段論法で自分を正当化できるのでとても便利です。/「日本はダメになった」という言説の裏には、「自分だけは除く」と、ただし書きがあるのです。(P20)

○昭和30年代に日本中で大暴れしていた凶暴な若者たちは、いまどうしていらっしゃるのか。・・・3700匹の少年殺人犯や37000匹の少年強姦犯や26万匹の少年暴行障害犯は、現在60代後半から70代前半になって、あなたのご近所で普通に暮らしてらっしゃるのです。おっと、もしかしたら、なに食わぬ顔で防犯パトロールをやってるかもしれませんよ。(P98)

○”安心”は、危険や異物を徹底的に取り除くまで訪れません。だから安心への道は、排除の論理や疑心暗鬼、人間不信へとつながってます。危険や異物がゼロにならないことを前提に、可能な限り平和的に共存する道を統計的・科学的に探るのが、”安全”への道です。/どちらの道を選びますか。それとも、まだ安全・安心ウォーを続けますか。(P137)