とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

子どもの頃から哲学者☆

 面白い! こんなに楽しく、そして分かりやすい哲学の本は初めてだ。いつも行く図書館ではなぜかジュニア・コーナーに置いてあったけど、これは絶対、大人が読むべき本だ。そして今、人生に悩んでいる人や哲学に興味がある人に読んでほしい。面白く、でも絶対にタメになる。

 先日読んだ「愛」でも「人類愛教」の話題が綴られていた。筆者が大学生の頃、「人類愛教」の教祖だった。突拍子もないエピソードだけど、「早稲田ドーナッツ」という小学生のための国際交流を進めるサークルを立ち上げたと聞けば、現実の話ということに納得する。その前にも、周囲と馴染めなかった小学生時代、生徒会長を務めた高校時代、そして激しい躁ウツ症状など、ある意味、破天荒な学生時代を送り、しかしその間にも難解な哲学書を読みふけったりする。やはり苫野先生は尋常じゃない。でもそれは特別にスゴイ人(哲学修行の話などはやはり相当にスゴイ人だとは思うけど)ではなくて、特別にスゴク悩んでいた人、捉われていた人、なんだろうと思う。それゆえにこそ哲学から逃れられなくなっちゃった。でも、一般人としての精神や常識はしっかりとあって、だからこそ哲学もやれるし、こんな本も書けてしまう。

 単に筆者自身の半生を描くだけではない。それを描きながら、ヘーゲルデカルトやカントやフッサールプラトンニーチェバタイユや・・・さらにはキルケゴールやルソーまで紹介してしまう。もちろん超超超要約ではあるけれど、でもとても重要。だってこれまでヘーゲルについてこんなに簡単に教えてくれる書物なんてなかった。

 そして、哲学とは何かを伝え、「自由の相互承認」という自分の哲学テーマについて述べている。面白い。次は「『自由』はいかに可能か」でも読んでみようか。竹田青嗣の本も面白そうだ(難しそうだけど)。これまで西洋近代の著名な哲学者の本を読んでは挫折してきたけれど、苫野一徳の後ろを追いかければ、少しは哲学書も面白く読めるようになるだろうか。まずは苫野一徳の後ろを追いかけよう。

 

子どもの頃から哲学者 ~世界一おもしろい、哲学を使った「絶望からの脱出」!

子どもの頃から哲学者 ~世界一おもしろい、哲学を使った「絶望からの脱出」!

 

 

○人間が思い悩むことや考えることなんて、実はいつの時代も似たり寄ったりだ。そして過去の哲学者たちは、そうした多くの問題に、すでに見事な“答え”を与えてくれていた。……自分にとってどうしても解かなきゃいけないモンダイを、とことん考え抜いて“解く”。……それが哲学者の仕事だ。……哲学は、そうした徹底的に考え抜かれた、力強い“考え方”を提示するものなのだ。(P8)

○一つの宗教の内部では、人びとは連帯することができるかもしれない。ところがそうなると、今度は異なる宗教を信じる人たちが、互いに凄惨な命の奪い合いを繰り広げてしまう……実は哲学は、こうした激しい宗教対立を舞台に、大きく発展してきたという歴史がある。……僕たちに、絶対の神を知ることはできない。カント(ら近代の哲学者たち)はそう言って、宗教戦争などの深刻な争いに終止符を打ちたいと考えたのだ。(P74)

○哲学が2500年にわたって積み上げてきた知恵、それは、「絶対」を掲げて争い合うことなく、僕たちがどうすれば“共通了解”にたどり着けるかについての知恵なのだ。(P86)

キルケゴールは、「絶望」とは自分自身に対する「絶望」のことだと言った。これはなかなか「本質」的な言い方だ。そして、「絶望」から抜け出すためには「可能性」が必要だと言った。これもまた「本質」的な洞察だ。……できるだけだれもが納得できる「本質」を明らかにすることができたなら、その問題を力強く克服する「考え方」(原理)もまた、僕たちは見出していくことができる。「本質」洞察に基づく「原理」の提示。これこそ哲学の神髄なのだ。(P169)

○実存の問題を考え、そしてそれを乗り越えるためにこそ、僕たちは実存を社会の側からも考えてみる必要がある。社会は決して、実存から遠いところにあるものじゃない。むしろ僕たちは、自分が自由に、そしてまた幸せになるためにこそ、どんな社会が必要なのかと考える必要もあるのだ。……多様で異質な世界の人たちが、「相互承認」できる社会。そんな社会を、僕たちはどうすれば築いていくことができるだろう。/これが、僕が生涯をかけて探求していきたい哲学テーマだ。(P215)