「寛容論」ではない。「不寛容論」である。こういうタイトルにした理由が「あとがき」に書かれている。すなわち「寛容」と「不寛容」は地続きのものであり、明確に線が引かれるべきものであった。少なくとも、「寛容/不寛容」が実質的に議論となったアメリカ植民地時代には。本書は、1630年にピューリタンとしてアメリカへ渡ったロジャー・ウィリアムズの人生を通して、現在につながる「寛容・不寛容」論の始まりの状況を探る。
だが、まずその前に、中世における寛容論を確認する。当時の中世キリスト教社会において「寛容」とは「悪を許容する」という意味であった。「赦す」のではなく、「是認」するのでもない。悪に対しては本来「不寛容」であるべきだが、不寛容を貫くことにより社会秩序が乱れるなどの「より大きな悪」の発生を防ぐため、「より小さな悪」を「容認する」ということであった。そしてこうした「寛容」観は、17世紀のアメリカ入植時代においても変わらない。
だが、ロジャー・ウィリアムズは違った。ピューリタンとして彼は徹底的な原理主義を貫いた。植民地政府や教会の曖昧でご都合主義的な取り決めを徹底的に批判した。そもそも先住民の住んでいた土地をイギリス国王の特許状を以て自分たちの所有とするイギリスと植民地政府のやり方を批判し、先住民の権利を主張した。植民地政府やイギリス本国に対して徹底的に「不寛容」であったために、結果的に先住民に対して「寛容」となった。先住民だけでなく、植民地政府から排除されたパブテストやクエーカーも受け入れた。そして彼の主張と行動は結果的に、今にもつながる「民主主義」や「人民主権」の先駆けとなる。
○ロジャー・ウィリアムズは、17世紀ニューイングランドの荒野に咲いた一輪の「あだ花」ではない。全キリスト教史を相手にした、正真正銘の異議申し立て者である。その思想と実践から、人権の基礎となる内心の自由が生まれ、信教の自由や政教分離という近代社会の枢要な原理が発達し、腰の据わった寛容の理念が導き出されることになる。(P137)
一方で、ウィリアムズ自身は、自ら独自の植民地を開発経営する中で、クエーカーなどの「良心」を装った迷惑行動と「寛容」の狭間で苦悩することにもなる。「良心」と「寛容」の関係を述べる後半も興味深い。最終章では、ヌスバウムとベジャンという現代の研究者によるウィリアムズ評価と寛容論を紹介する。
筆者はどちらかと言えば、「伝統的(中世的)な寛容」をベースに、礼節と忍耐をもって他人に対する「寛容」を支持しているようだ。そして「寛容はちっとも美徳ではない」と言う。少なくとも「寛容を押しつける不寛容」について警鐘を鳴らしている。「あとがき」にある次の文章も興味深い。
○人間が…心という自分だけの内面世界をもった存在である以上、どんなに親しくしても、最後まで完全にわかり合えることはない。それでも、受け入れることはできる。そして、理解できないままに受け入れることを、愛と呼ぶ。(P284)
○トマスは、ユダヤ人は罪を犯しており、われわれの敵だ、とすら言っている。ユダヤ人を…「愛せよ」という命令ではなく、「憎むな」という命令であり、その憎しみを外的な行為に表現するな、という命令である。…寛容であるためには、相手を嫌いでなければならない。なぜなら、寛容とは嫌いなものや悪しきものに対してのみ可能だからである。…寛容の出発点には、否定的評価がなければならない。その上で、それを容認するのである。(P68)
○中世の人びとにとって…寛容とは、「原理」ではなく「実利」だったのである。…不寛容である方が得なら不寛容になるが、寛容である方が得なら寛容になる。…ニューイングランドの人びとは…ゼロから社会を作るのだから、あえて意見の異なる人を受け入れる必要がなかった。寛容になる必要のないところでは、寛容になってはならないのである。…彼らにとっては、不寛容ではなく寛容が悪だったのである。(P94)
○「民主主義」という言葉自体も、この時代…この言葉に何の魔法も感じていなかった。聖書にそんな言葉は出てこないし、神が教会や国家に民主制を命じているとも考えられない。…「民主主義」という言葉を肯定的な意味で使い始めたのは、ウィリアムズと彼の植民地ロードアイランドの人びとである。そこでは、多数決原理や代議員制、民衆の同意と参加などが強調され、その体制に「民主主義」という言葉が充てられている。(P198)
○当時の常識では、重要な政治宣言や誓約書には、内容の保証人として神の名が用いられるのが普通だった。…しかしウィリアムズのこの誓約文には、そういう宗教的な言辞がまったく出てこない。…神を証人として持ち出さないということは、文書の効力がもっぱら署名する者たちの自発的な意志による、ということである。…つまり、署名者がすなわち主権者である。これが人民主権の始まりだった。(P207)
○ベジャンは…相手に敬意や愛情をもつことまでは要求しない。最低限の真摯な礼節さえ守ればよい。たとえ心の中で相手を嫌っていても構わない。「相手を心から受け入れ、違いを喜びなさい」というポストモダンのお説教は、ときにウィリアムズよりずっと不寛容である。…相手にどういう態度で接するかだけでなく、内心で相手をどう評価するかについてまで寛容であれと要求するのは、潜在的にはとても不寛容である。(P274)