とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

相手の話をしっかり聞いて理解し、助言や反論を行うこと

 先日投稿した「最低最悪のスタート」のうち、接続ケーブルが繋げず、パソコンを利用した講義ができなかった出来事について、Facebookで嘆いたら、友人から多くの同情や慰めをいただいた。「万一に備えて、メス・メス・コネクターをいつも持参しています」という助言もあり、大いに参考になった。

 ただ、多くのコメントの中で、「クラウドで繋げばいい」という意見があり、「これは誤解しているな」と思って、「ファイルが入ったUSBは持っていたけど、パソコンとの接続ができないとわかったのは、授業開始10分前で、あきらめるしかなかった」と再コメントをしたところ、「接続ケーブルを常に持っていること」というコメントが返ってきた。「その接続ケーブルが繋がらなかった、という話なんだけど。しっかり元発言を読んでくださいよ」と言いたくなったけど、コメントをくれた相手は弁護士さん。普段は相手の話をじっくり聞いて、理解し、その上で論理を組み立てるという仕事をしているはず。Facebookはそうした仕事の合間の息抜きでやられているだろうから、元発言をしっかり理解することなく思い付きをコメントしたのだろう。これ以上追加コメントをしても、お互いメリットはないと思い、他の人は理解しているようなので、そのまま放置することにした。

 実は40代の頃、10歳ほども上の先輩と仕事の関係で議論となり、先輩の意見に対して反論したら、先輩から「人の話をよく聞けよ」と言われたことがある。それでハッとして先輩の資料を読み返すと、私が中途半端に理解して、誤解して、反論していることに気付いた。すぐに謝って、しかし意見が異なる部分は主張し、お互い理解をしたうえで次のステップに進んだという経験がある。

 しっかり最後まで聞かず、中途半端な理解のまま、間違った発言をしてしまうことは、これまでも何度かあった。その時に気がつけばよいが、会議等が終わった後で資料等を読み込んでようやく自分の誤解に気がつくことも多々ある。その結果、結論等に影響があれば、相手に連絡を取って謝罪するなどしたが、そのまま放置したことも多い。相手を傷つけたのではないかと今になって申し訳なく思う。

 先日来、妻が通院している耳鼻科の医師は、一見とっつき難い印象もあるのだが、妻の長々とした話を途中で折ることなく最後まで聞き、妻の不安に対してきちんと対応し、説明をしてくれる。先日など、妻が「知人が突発性難聴に罹り、鼓膜に穴が開いていたと聞いた。私もそれが原因ではないか」と突拍子もないことを言ったが、ちゃんと耳の中を診断した上で「大丈夫ですよ」と言い、突発性難聴や妻の症状であるめまいについて説明をしてくれた。病院を終えた後、妻もその医師に対して「とてもいい先生だ」と好意を寄せていた。

 一方、妻が糖尿病で通う内科クリニックの医師は、一見やさしそうで話も聞いてくれるが、あまりに長くなると途中で遮って、自分の意見を言われることがある。多くの患者に対応する中では、いつまでも意味のない話を聞き続けるのは大変だろうとは思うが、それにしても耳鼻科の医師は若いながら偉いなあと感心する。相手にする患者の状況が違うのかもしれないが。

 私もなるべく最後まで相手の話を聞いて、しっかり理解して、反論や助言をするようにしたいと思う。いや、先輩との一件以来、自分の性急な性格は自覚したつもりだが、やはり相手の話があまりに長いと我慢をしきれないことも多々ある。今回、Facebookを通して似たような経験をした。他山の石として反省し、さらに気を付けようと思った。