とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

ヘディングはおもに頭で

 2021年の「サッカー本大賞」の候補作にノミネートされていた。西崎憲という作家は聞いたことはあるような気がするが、読んだことはない。ライトノベルという雰囲気。でも、落ち着いて、淡々として、読みやすい文体は好感が持てる。調べてみると、もう65歳を過ぎている。よくそれで、20歳前後の青年の気持ちを描くことができるなあ、と感心した。

 二浪し、アルバイトをして暮らす青年。高校時代の友人はそれぞれ自分の道を進み、それでもそれなりに友人の縁は切れずに、遊びや呑み会に声をかけてくれる。そんなことから始めたフットサルだが、一向に上手くならない。読書会にも参加するが、年上の女性に付き合わされたりして、ゆるゆると時が過ぎていく。年末に、それまで通っていたフットサル・スクールのコートが閉じた。そして「大学受験をやめる」と母親に告げる。

 最終章のタイトルは「What a Wonderful World」だが、最後まで何かが動くわけでもない。いつものようにフットサル・コートに向かい、いつものように感じのいい人、感じの悪い人と共にプレーをする。

○ゲームがはじまる。パスをくれない。いや、問題ない、ビッグワン。ぼくはきみをすこしも好きじゃない。きみもぼくを好きになってくれなくていい。でも同じゲームをやっている。だからぼくはきみにパスをだす。でも正確に言えば、きみに向かってだすんじゃない。ぼくはたぶんゲームに向かってパスをだす。なぜならこれはぼくのゲームだからだ。(P205)

 そして終わる。こう思えるようになった青年は成長したのだろうか。20歳の1年。人は誰も、少なからず成長するものだ。少なくとも64歳の1年よりははるかに長く、濃密だ。

 サッカー本大賞の結果は特別賞だった。本書を貶すわけではないが、サッカー本自体が不作なのかもしれない。それとも選者がこの種の本を選考したことを評価すべきか。フットサルでなくてもいいように思うが、フットサルと共に成長する青年の姿はどこか面映ゆい。

 

ヘディングはおもに頭で

ヘディングはおもに頭で

  • 作者:西崎 憲
  • 発売日: 2020/10/01
  • メディア: 単行本
 

 

○4ゲーム目になにかが突然変わった。/息をするのが楽になり、人の流れとボールの流れがすこし見えるようになり、すべてはつねに動いて、つねに変わって、けれどいつも中心にボールがあった。そこが全世界の小さな中心だった。とても小さな中心。/速さの違う、太さの違う流れ…が、自分の周囲で渦をまき、唸りをあげておんの身体をかすめ、そして驚くことに自分自身もひとつの流れになった。(P47)

○パスには誰かにむかってだすものと誰もいない場所にだすものがある。…たとえば壁パスというのがある。…自分は相手に向かってパスをだすが、返すほうはまだ誰もいない場所にパスをだすことになる。/壁パスが成功した場合、その成功はだし手と受け手がちょっと先の未来を共有したからということになる。それってタイムトラベラーじゃないかとおんが思う。未来がわかるから成功するのだ。…同じ未来を予測したとき、未来は生まれる。(P60)

○「ははは、だめだよ。…写真は…広川や相原にまかせるよ」/広川の顔がすこし硬くなった。…「まかせるとかそういうのじゃないと思います。がおん先輩は自分だけの写真が撮れます。先輩…自信がなさすぎると思います。先輩には先輩しかわからないことがありますし、それを信じてやっていけばいいんじゃないですか。がおん先輩は人のことを気にしすぎです。自分が自分のことをわかってあげないとだめですよ。だれも先輩のためには生きてくれません」(P163)

○乗ってきた人はさまざまな年齢でさまざまな服を着て、みんな自分の行く場所が決まっていて、すわる椅子を持っているように見えた。みんな椅子が用意されてるのだ。どこかに。誰もがちゃんとした人間で、自分がすわる椅子が用意されている。自分はもしかしたらそうではないのかもしれない。自分はちゃんとしてない。実際に0.5だ。1になろうともがいているけれど、いつ0になるかしれない人間だった。(P186)