とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

君はなぜ、苦しいのか

 石井光太にはこれまでのようなルポルタージュを期待したが、本書はそうではなく、子供向けに書かれた本だ。と言っても、内容はなかなか難しい。誰でも読めるわけではないだろう。それでも、苦しんでいる子供が本書を手に取って、苦しさの原因が自分にはないことを知り、抜け出す努力につながればいい。

 思い返せば、昨年は「ルポ 誰が国語力を殺すのか」を読んだ。こちらも、いじめや不登校、ネット依存などに陥った子供たちをいかに救うかというテーマでさまざまな取り組みを追った本だった。そして本書も再び、貧困、ヤングケアラー、虐待、不登校、いじめ、そして差別など、子供たちに降りかかるさまざまな問題に対して、何とかそこから抜け出せるようにと、その原因を示し、解決策を提示する。一言で言えば、子供たちが悪いのではない。社会が変わってしまったのだ。

 そして、この社会に潰されるのは、子供だけではない。多くの大人もその犠牲となっている。「旧来型の社会システムの中では自立し…て生きてこられた人たちが…(現在では)福祉の助けなしにはは生活できなくなって」と指摘する。その意味で「社会的弱者とは社会構造がつくり出した存在である」は正しい。

 では社会構造をどう変えればいいのか、と問うのは大人の課題だが、子供たちにはまずは「逃げ出せ」と言う。これもまたそのとおりだ。逃げ出した先にこそ、開ける未来がある。では大人はどうか。逃げ出しても、社会は変わってくれない。やはり社会を変える必要がある。そしてそれができるのは日本の大人たちだ。大人の選択にかかっている。「日本の若者の幸福度を上げることはできるのか。/それは社会の現状を知った君たちが、これから先どう行動するかにかかっているのだ。」(P243)という文章で本書は終わるが、じつはその言葉はそのまま我々大人にも投げかけられている。

 

 

○濃密な人間関係を疎ましく思って、そこから離れることを選んだ人も少なくなかった。特に優秀な人であればあるほど、引く手数多なので、都会へ出て企業に勤め…自由な生活を手に入れようとした。…他方、個人商店を中心とした旧来型の社会システムにも、働く側にとってそれなりのメリットがあった。…世の中には、生まれつき気が弱い人や心身の病気を抱えているなど、他者と競い合って自立を実現するのが困難な人が少なからずいる。旧来の社会システムの中には、そういう人たちの社会参加を助ける装置が備わっていたのだ。(P020)

○新しい社会システムは、それまで個人商店という環境の中で社会の一員として働いていた人々をふるいにかけたと言える。その結果、少なくない人たちが社会の中で居場所を失い、生活の糧を得る手段を失うことになった。…旧来型の社会システムの中では自立した納税者として生きてこられた人たちが、新しい社会システムの中ではこぼれ落ちて社会的弱者とされ、福祉の助けなしでは生活できなくなっていく…。/ここから言えるのは、社会的弱者とは社会構造がつくり出した存在であるということである。(P026)

○ある児童精神科医は次のように述べていた。/「不登校というのは、今の社会が生み出した病理みたいなものです。家庭の変化によって子供が弱くなり、社会の変化で多くのことが要求されて余白みたいなものがなくなっていった。学校側も人手不足でそれに対応することができない。いろんなことが原因となって子供たちがどうしていいのかわからなくなってしまっているのが現代なのだと感じています」(P142)

○今の複雑な社会を生きるには、学校に通って誰もが学ぶことを行儀よく覚えるだけでは十分とは言い難い。むしろ、学校という枠組みから外れても、自分の中の自発性を甦らせ、進んでいくことの方が何倍も重要なのだ。…不登校とは休んだり、自分を見つめ直したりする時間だ。…自分を見つめ直すとは、自分の自発性と向き合うということだ。そのために、どんな人間関係の中に身を置けばいいのか。…それをきちんと考えさえすれば、不登校はこれ以上ない人生の貴重な時間となるはずだ。(P151)

○時代の急速な変化を受けて、日本の社会は窮屈なものになっていった。多くの人たちが自分を見失い、やりがいを持って生きていくことが難しくなり、ある者は自暴自棄になり、ある者は心が荒み、ある者は精神を病んだ。…日本社会に生きる者にとって、こうした問題は地面に埋められた地雷のようなものだ。…このことが社会全体に蔓延する息苦しさの正体であり、日本の子供の心の幸福度が低い主な原因の一つでもあるのだ。(P240)