終戦直後から、安倍晋三元首相が殺害されるまでの日本政治史を年代順に淡々と記述する。私が覚えているのは佐藤栄作の退任時のテレビ放送からだが、もちろんそれ以降も日本の政治状況を注視していたわけではないので、本書を読みながら「そういうことだったか」と思うこと頻り。でもまずは終戦直後のことを知らない。戦後初めての社会党政権時の首相が片山哲だったことは知っていたが、その経緯と顛末は知らなかった。特に、片山政権の成立自体、GHQが歓迎していたということは。
しかし、時代は変わる。朝鮮戦争を機に、米国の占領政策が変わり、再軍備を求める中、吉田内閣がそれを拒否し続けたことは知っている。しかし、そこから始まる改憲議論が現在に至っても日本の政治状況を規定しているという筆者の見識は「なるほど」と思う。また、中曽根政権の評価も「そうだったか」とわかったように思う。
日本の国民の意識が、「保革対立」から「生活保守主義」、そして「体制改革」へと移り、それを達成したはずの民主党政権があえなく崩壊した後、再び「55年体制型政治」に戻ってしまった。国民意識の変化が政治を動かす状況はあるとはいうものの、結局、日本の政治は「憲法問題」を超越しない限り、次の段階へは進めない、という指摘はそのとおりかもしれない。でもどうやって?
政治はイデオロギーではない。我々の生活そのものなのだ。そのことに気付かない限り、日本の政治は変わらないし、日本という国自体が変わらない。ということは、国民も幸せになれない。政治は何のためにあったのか? 日本の政治、そして政治家にはもうすっかり愛想を尽きた。でも日本国民でいる限り、離れることはできない。何とかならないか。真に国民のために活動する政治家はいないものか。政治とはそもそも何なのか。
○1947年5月の新憲法施行に先立ち…4月20日、初めてとなる参議院議員選挙が行われた。…衆院選については…4月25日に行われ…この選挙の結果、単独で過半数議席を取った政党はなく…結果誕生したのは社会・民主・国協の3党連立政権だった。首班には、キリスト教社会主義者の片山哲社会党委員長が就いた。…社会党首班政権の誕生は、保守的な吉田自由党を嫌ったGHQ民生局にとっても歓迎すべき出来事であった。…しかし結果として、片山内閣は10か月足らずの短命で終わってしまう。その原因は、連立与党および社会党内の亀裂であった。(P15)
○1950年6月25日…始まった朝鮮戦争が、米国の占領政策転換を決定づけることになる。…これ以降、米国は、日本政府に対し再三、軍備増強を求めるようになり、ついにはその生涯となる憲法9条の改正を迫るようになる。…第三次吉田内閣の最大の課題は…講和条約の締結であった。…吉田首相は…軽武装主義の観点から、主権回復後も米軍基地を国内に残し、国土防衛を米国に大いに依存する方向を模索した。(P26)
○中曽根政権は「戦後政治の総決算」をスローガンとするようになるが…それは…池田政権以来のニュー・ライト路線へのアンチテーゼであった。/ただ…実質的に彼の施策を評価すれば、従来の自民党政権の保守本流路線を大幅に逸脱したと見ることはできない。…「生活保守主義」志向の強い1980年代の有権者は、現状維持を好んでおり、戦後憲法体制の大きな修正を求めていたわけではなかった。中曽根はこうした民意をよく理解しており、だからこそ政権の長期化に成功したのである。(P130)
○1990年代から2000年代前半の日本政治では、「体制改革」が時代の争点となったことで、…政治的対立の重点が、「保守陣営対革新陣営」の戦いから、「守旧派対改革派」の戦いへと移ったのである。…自民党の分裂、自社両党の連立政権樹立、…自民党・改革派政権の誕生、改革派野党の巨大化といった現象は、すべてそうした文脈の下に理解できる。(P154)
○3年3か月続いた民主党政権は、惨憺たる幕切れを迎えた。…政権交代は、1990年以来の政治改革運動の最大の成果であった。ところが期待された新政権は…内憂外患を招き…日本を敗戦以来の国難に陥れたとさえ、多くの国民から見られるようになった。その結果、自民党…に代わる政権担当能力を備えた政党は存在しないとの冷めた見方が広がっていく。…民主党政権の挫折はすなわち、55年体制型政治からの転換を図る、政治改革運動の挫折を意味した。(P260)
○保守政党が政権担当能力イメージを独占し、野党が断片化している状態、すなわち55年体制的状況は今後も容易に変わらないだろう。…この構造は、日本の戦後政治に憲法問題がビルトインされていることに由来する。…その意味では、9条の存在こそが、逆説的にも、改憲を党是としてきた自民党の優位を支えてきたという言い方もできよう。…そして今後も、憲法問題が解消されない限り、あるいは憲法改正という争点を「軍国主義か民主主義か」というイデオロギー的問題として捉える枠組みから日本人が解放されない限り、この国の「戦後」が終わることはないだろう。(P291)