10年ほど前に読んだ「中国化する日本」はめちゃくちゃ面白かった。引き続き、筆者の本を読もうと思っていたが、なかなか発行されない。そのうちに、筆者が病気で休んでいるという情報を聞いた。そしてすっかり筆者のことを忘れた頃、本書の書評が目に入った。與那覇潤は「平成」という時代をどう批評するのか。興味を持って読み始めた。
小渕官房長官が「平成」の額を掲げたシーンをテレビで見たのは、30歳を少し過ぎた頃だ。それから退職するまで、社会人としての人生はほとんど「平成」とともに過ごした。だが、「平成とはどんな時代だったか」と言われると、何かとりとめがない。阪神淡路大震災があり、東日本大震災があった。自民党と社会党の55年体制が終わり、民主党政権になったが、それもあっという間に終わり、あとは安倍政権。一方で、パソコンが普及し、インターネットやスマホが当たり前になった。災害と政治的劣化とIT化の時代。だが少なくとも、高度成長期のような明るさや活力はない。ただただ翻弄され、耐え、過ぎ去っていったという印象。「平成」とは何だったのか。
本書は1989年からの30年4ヶ月を1~3年毎に区切り、時間の流れに沿って考察を進めていく。さらに、世紀をまたぐ2000年を前後にした時代(1998~2010年)と、その前の9年間(1989~1997年)、そして東日本大震災以降の9年間(2011~2019年)と3部に分ける。前から「第1部 子どもたちの楽園」「第2部 暗転の中の模索」「第3部 成熟は受肉のかなたに」と見出しが付けられる。昭和との連続性の中で展開する1997年までの9年間は、マルクス主義と昭和天皇というふたりの「父」が死に、規準が見えなくなった時代。昭和の重荷を徐々に降ろしていくが、どこかへまとまることなく、ふらふらと迷走する。自民党が下野して、細川政権が発足したかと思うと、すぐに自社さ政権に代わる。阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件を経て、また自民党政権に戻る。そうした落ち着かない気分のまま、新たな世紀を迎えた。
今、思えば、ふわふわとした時代だったが、それも幸せだったのかなと思う。大したトラブルもなく2000年・2001年が過ぎると、しかし突然、時代は新たなフェーズに入っていった。小泉政権の発足、そして9.11テロの発生。イラク戦争との敵味方をはっきり峻別する小泉流が席巻する中で、中道は消え失せ、興奮と混乱の中で、民主党政権が誕生した。
しかし、この政権も混迷した。民主党政権がなぜかくもあっけなく崩壊したのか。当時、私にはその理由がよくわからなかった、筆者はそれを「何もかも遅すぎたから」と言う。政権奪取が遅すぎた。対応が遅すぎた。そして不幸が重なった。東日本大震災による福島原発事故により湧き起こった市民デモにより政治が吹き飛んだ。そしてその後を埋めたのは、アベノミクスへの過剰な期待と極端で幼稚な保守政権。しかし、一時の夢が覚めた後、残っているのは、これからどこへ向かえばいいかわからず、ただ呆然と立ち尽くすばかりの人々。もう少し民主党政権がうまく運営され、長く続いたら、現状も違っていただろうか。だが、変化したのは日本だけではない。世界情勢も変わり、世界中の国と人々がこれからどこへ向かえばいいのか、どこへ向かうのか、不安の中で右往左往している。
さて、令和はどういう時代となるだろうか。総理大臣の顔も変わり、多少は変わりつつあるのかもしれない。人々の気持ちや心も変わりつつあるような気がする。僕らはこれからの時代、希望を持っていのだろうか。それとも悲観すべきなのか。歴史家として日本の近現代史を見てきた筆者には、我々とは違う日本が見えているようだ。與那覇潤の今後の論考にも期待したい。
○冷戦の終焉はたんなる国際政治上の力学の変化ではなく、ひとつの「思考法」が崩壊することでした。社会主義が生きていた時代には、マルクス主義という巨大な知の体系があり…機能していた。しかし1989年にそれらは説得力を失い…崩れ落ちたのです。…いっぽう日本において…国民多数に思考や行動のモデルを提供したのは、実は「天皇のふるまい」でもありました。…その人物が死ぬ。…こうして左右ともに昭和の日本を規定していた…ふたりの「父」が死んだ。(P22)
○昭和天皇とソヴィエト連邦という、人びとの思考を規定し言語を束縛する、圧倒的な左右の「父」が姿を消して始まった平成。そこでは理想を言語で語ればすぐ実現するかのような軽やかな気分と、もう身体的な欲求を抑える必要はないとする赤裸々な現実の追認が吹き荒れていました。/冷戦下で異見と対峙しながら思想を紡ぎ出した、戦後論壇の神々の身体が喪われたとき、他者と向きあう感覚を根本的に欠いた、のっぺりとした「歴史らしきもの」が頭をもたげ始めていたのです。(P136)
○絶対的な価値観が失われたいま、言葉で議論を尽くしても結論は出ない。だったら結局のところ、圧倒的なカリスマが体現する説得力に頼りしかない―。平成11年(1999年)は、こうした「言語から身体へ」の巨大な転換が動き出した年でした。それを象徴するのが…同年4月に東京都知事に初当選した石原慎太郎と、逆に7月に自殺する江藤淳です。(P172)
○なぜ、発足時には国民に歓迎された…非自民政権はかくも不安定だったのか。…ひとことでその理由をまとめるなら、この2009年の政権交代が何重もの意味で「遅すぎた」からだろ、言うほかありません。(P342)
○彼のほんとうの憎しみの対象は、父・晋太郎が中曽根後継を逃がすことではじまり、続々と続く新党の群れに政界の主役を奪われ、2度の下野までも自民党に体験させた「平成」(ポスト戦後)のほうだったのかもしれない。改元以降に生じた諸々の脱線を払拭して、保守政権が揺らぐことのなかった昭和の延長線上に日本を戻したいというのが、いまの安部氏のパトスではないだろうか。(P452)