とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

国籍と遺書、兄への手紙☆

 先に読んだ「差別の教室」に続いて、「差別」関係の本を読んだ。だが、筆者の立場は180度違う。前著は、筆者が様々な海外の国々で生活する中で、差別を受けたり、逆に知らず知らず差別をしてしまう経験を通じ、自身が差別をする側として「どうすれば差別をしなくなるのか」を考えた。一方、本書は、父が死んで、そこで初めて、父が在日二世だったことを知り、そこから祖父や祖母のルーツを探す旅に出る。多くの在日の人々と交流する中で、彼らが受けている差別の理不尽さを訴えていく。

 自分自身について言えば、幸い、差別を受けるということはなく、差別をしないという立場で差別問題を考えることになる。だが、本書を読みつつ、ふと思った。わたしもひょっとしたら差別を受ける側かもしれない。というのは実は、私の父は養子で、実際の父母がどういう素性の人かわからないのだ。今なら血のつながっていない子供を養子にする場合には、特別養子制度により厳格に規定されている。だが戦前はそうではなかった。子供のできなかった祖父母は、どこかから子供をもらってきて、実子として届け出たようだ。そのことを全く秘密にすることもなく公言していた。だが、実際、誰の子供かということはけっして言わず、父も実父母を探そうとしたけれど、戸籍等では辿り着くことはできなかったと聞く。

 考えてみれば、明治天皇にもすり替え説があったりして、人のルーツなど、本当のところはよくわからない。また、祖父母や曾祖父母あたりまでは何とかなっても、それ以上前の先祖のことまで確実に辿れる人はそれほど多くないのではないか。在日に対して酷いヘイトを向ける人だって、何代か前には外国人の先祖がいる可能性も拭えない。そう考えれば、ルーツなんて、大して意味がないのではないか。今の自分がどう生きるかこそが最も大事なのだ。

 そんなことを思いつつ読み終えた。けっして筆者の旅を否定するつもりはない。いや、ヘイトな活動がある限り、筆者らの活動は大いに意味があると思っている。これからもめげることはあるだろうが、がんばって活動を続けてほしい。声を挙げ続けてほしい。そうしていつの日か、国籍などない世界になるといいと思う。本書の最後は以下の言葉で締めくくられている。

○父が生きられたはずの社会になることを願う。/その願いをかなえるためにも、旅は続く。(P211)

 

 

○大切な気づきとなったのは、カンボジアで出会った人たちが語る「家族」の定義の大らかさだった。…人と人はもっと、自然体でつながり合えるのだと教えてもらったように思う。/滞在最後の日、「若者の家」で仲良くなった男の子が、「俺にはこうやって、でっかい家族がいるんだ。君も、KnKの人たちも皆、家族だ」と誇らしげに語った。それまでは母と妹、私、という小さな単位だった家族の幅は、私の中で一気に広がった瞬間だった。(P19)

○父は兄の母と正式な婚姻関係になく、しかも…父は兄を認知していなかった。父はなぜこうも、兄を突き放すような態度をとり続けてきたのだろうか。…それから私は「在日」と呼ばれる人々の歴史や文化、国籍について調べるようになった。…改正国籍法の下では、父と母、どちらかの国籍を22歳までに選ぶことになっている。…ところが国籍法が改正される以前は、子どもは「父親の国籍」になると定められていた。この父系主義の仕組みの下で、もしも父が、兄の母であるRさんと結婚して兄が生まれた場合、兄は父の国籍である韓国籍となる。当時の兄が日本国籍を持つためには、父がRさんと結婚もせず、兄の出生前認知もしない、という選択をするしかなかったのだ。(P24)

○リームさんは、「いつか必ず、故郷に帰りたい」という。なぜ、ずたずたにされ続けてきた地になお、戻りたいと望むのだろう。リームさんにとって「故郷」とは、どんな存在なのだろうか。7か月になる娘、サービーンちゃんを見つめながら、彼女ははっきりした口調でこう語った。/「この子が私から離れたがらないのと同じです。故郷シリアは母、私たちはそこから生まれた赤ん坊。戻りたいと思うのは、自然なことでしょう?」(P54)

○過労死や過労自殺のことが報じられる度、「あってはならないことだ」って憤ったし、私なりに声をあげてきたつもりだった。でも、全部全部、あなたのことだったんだよね。…あなたが亡くなった後、あなたを最期まで見送ったのも…あなたのパートナーさんだったんだよね。言葉を尽くせないくらい、感謝している。…ごめんね。/きっと今でもたくさんの人が、この「ごめんね」を日々感じながら生きているんだと思う。(P131)

○2000年10月31日、父は車に排ガスを引き込んで、死んだ。…人が死に至るまでの過程には、複雑な要因が絡み合う。何に苦しんできたのか、父はもう、自らの言葉で語ることができない。…そんなあるとき出会ったのが…自殺対策のポスターの標語だった。/「弱かったのは、個人でなく、社会の支えでした」…誰かの人生やルーツは…世の中の写し鏡だ。父のルーツもまた、在日コリアンの歩みや構造的な差別と切り離せないものだろう。(P210)