とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

未明の砦☆

 久し振りに、太田愛の新作が出た。前作の「彼らは世界にはなればなれに立っている」がなんとファンタジー。もちろんいい小説だったが、今度の新作はいつもの社会派ミステリー。やはり太田愛にはこうした小説を書いてもらいたい。

 今回のテーマは、非正規社員が労働闘争を行う話。正社員の過労死に対して、警察や労基署にも手を回し、労災申請を退ける。非正規社員の労働中の突然死についても隠蔽を図る。さらには、新型賃金制度の導入を目論む目指す会社に対して、反旗を翻し、手作りで労働組合を立上げる非正規社員の4人組。しかし、会社は政界や警察にも手を回し、共謀罪をでっち上げ、彼らの活動を阻止しようとする。

 ぎりぎりのところで逮捕を逃れた彼らは、追いかける警察の手を逃れ、ある場所へ。警察公安部や捜査員、ジャーナリスト、さらには正社員の中にも、大企業の言いなりになる社会に対して、異議を持つ人が少なからずいる。彼らの少しばかりの行動が、4人組の逃避を助け、そして最後の行動を達成させる。

 これ以上書くとネタバレになってしまうけど、全部で609ページの大部ながら、1週間も経たず一気に読み上げてしまった。面白い。昨年からの裏金問題にみるように、日本にはまだまだ不正義かつ不公正な事柄に溢れている。次作にも大いに期待したい。

 ちなみに、本書は新聞連載されていたとあったが、連載誌は、陸奥新報や東海愛知新聞など、地方紙でもマイナーな各紙だった。やはり大手新聞社ではこの種の小説の連載はできないのか。「ザイム真理教」が大手の出版社での発行が断られたという話も含め、今の日本メディアの現状を憂う。

 

 

○同じ社会的高度に生息する者だけが、彼にとって実在する人間なのだと板垣は思った。それぞれに喜怒哀楽があり、互いに頼み事をしたり、親族の幸不幸を慮ったり、場合によっては腹を立て、必要とあれば騙しもする。一方で、遥か下方にひしめく人々は…気まぐれに形を変える半液体状のひとつの巨大な生物で<国民>と呼ばれている。板垣は、仮に自分が<ユシマ副社長>という肩書を失えば、瞬時に中津川の世界から消え失せ、ゲル化した国民の一部に回収されるに違いないと痛感した。(P19)

○この国で…上下関係や立場にかかわらず、守られるべき尊厳があるのだと意識する機会がどれだけあるだろうかと考え…た。…「わがままである」とか「なまいきである」とかの非難や、何らかの脅威にさらされることなく個人が自らの『尊厳』を主張できるのは、つまるところ人生の終わり、自己の死に向き合う際に、尊厳死という言葉を語る時くらいのように思われた。(P250)

○世界において過労死に直結する長時間労働の制限が始まったのは…1919年(大正8年)、国際労働機関(ILO)は初めての総会で、工場労働者に1日8時間を超えて働かせてはならないという第1号条約を採択している。この第1号を含め、ILOは2021年までに労働時間に関する条約を22本採択してきた。しかし、日本はそれらのいずれにも批准していないのだ。/日本では1947年に労働基準法が制定されて以来、その36条によって…いわゆる三六協定を結べば、長時間の残業や休日労働が認められている。(P330)

○日本には民主主義は根づかなかった…。それは、この国の民主主義が国民の手で勝ち取られたものではなかったからだ。…広島、長崎と原爆を投下され、ようやく敗戦を迎えた後に、民主主義もまた投下されたのだ。…この国の人間には社会という概念がないのだ。あるのは帰属先だけ。…社会とは空気のようなものだ。…この国の人間は、その空気が不正義や不公正に汚染されて次第に臭気を放ち始めても…どこまでも慣れていく。…自分たちの社会に対する不潔耐性も極めて高いのだ。(P514)

○俺がこのさき頑張ってなれるもんがあるとしたら、これしかないと思ったんだ。それでまず決めたわけだ。いい労働者になろうって…いい労働者ってのは、ただ一生懸命働くだけじゃないんだ。隣に困っていると労働者がいたら、その労働者のために闘う。つまり自分たちのために闘うのが、いい労働者なんだ(P601)