とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

騎士団長殺し

 図書館に予約しておいた本がようやく届いて、一気に読み終えた。面白かった。

 読みながら、これはこれまでのどの小説の系統に属するものだろうかと考えた。最初は意外に現実的に動き始める。「色」が一つ、テーマになっている。白い色の「免色さん」。その点では「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」に近いのかなと思った。しかし祠の裏の穴が出てくると、次第に様相が変わってくる。これは「ねじまき鳥クロニクル」の系譜か? さらに女性とのセックスシーンが数多く出てくる。ここまで多いのは村上作品の中でも初めてではないか。

 村上春樹にとって、セックスとは何だろう? 第2部で、老人養護施設から穴に潜って、地下を移動していくシーンがある。この作品の中でも核心的な場面だが、これはまるで、精子が子宮から卵巣へと這い登っていくように感じた。抜け出た穴の中はゆりかごか。そして、主人公(と、秋川まりえ)にしか見えない騎士団長は、「海辺のカフカ」に出てくるカーネル・サンダースみたいだ。

 ところで世間一般には、この作品はどう評価されているのかと、いくつかの書評サイトを読んでみたが、みんなどうやら、すごい大傑作でもないし、駄作でもないし、と評価を付けあぐねている感じがする。これまでの作品と似ているようで、少し変化している。それを新しい一歩と捉えるか、ただの変奏曲と捉えるか。

 これまでの作品と較べて、比較的読みやすい、というのは確かで、それは成熟なのか、進化なのか。もちろん老化などというのは失礼な話だし、新しい作品というだけで、これまでにない進展があったと捉えるべきだが、読む私も筆者と同様の齢を重ねているので、どのような評価が正解なのかわからない。まあ、小説に正解も何もないのだし、楽しめたということはつまり大正解ということなのだと思う。

 加藤典洋「敗者の想像力」大江健三郎が改めて評価されているのを読んで、老齢期を迎えた作家の評価について考えさせられた。村上春樹を老境というのはまだ失礼な気もするし、まだこれからも書き続けるだろうから、また次の作品を楽しみにしよう。いや、単純に言って、面白かったです。

 

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

 

 

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

 

 

〇あたりの山肌は既に秋の色に染まっていた。黄色と赤の精緻なグラデーション。そこに常緑樹の一群が緑色の塊を割り込ませている。その鮮やかな混合が、免色氏の屋敷のコンクリートの白さをいっそう鮮やかに際だたせていた。それはほとんど潔癖に近い白で、これから先どんなものにも―雨風にも土埃にも、たとえ時間そのものにも―汚されることがないように、貶められることがないように見えた。白も色のうちなんだ、と私は意味もなく思った。決して色が失われているわけではない。(第1部P145)

〇私は死ぬまで彼女の顔を忘れられないだろう。しかしそれはそれとして私が求めていたのは、その時点の私が記憶している彼女の顔を忘れないことだった。・・・それは放っておけば、やがてどこかに消えてしまうものだろう。その記憶がどれほど鮮やかなものであれ、時間の力はそれにも増して強力なものなのだ。(第1部P169)

〇「なぜならば、あたしにわざわざ教えてもらわなくとも、ほんとうのところ諸君はそれを既に知っておるからだ」/私は黙っていた。/「あるいは諸君はその絵を描くことによって、諸君がすでによく承知しておることを、これから主体的に形体化しようとしておるのだ。・・・大事なのは無から何かを創りあげることではあらない。諸君のやるべきはむしろ、今そこにあるものの中から、正しいものを見つけ出すことなのだ(第1部P361)

〇きっと私はあの夜、本当にあの部屋を訪れていたのだ。・・・私は現実の物理的制約を超えて、何らかの方法であの広尾のマンションの部屋を訪れ、実際に彼女の内側に入り、本物の精液をそこに放出したのだ。人は本当に心から何かを望めば、それを成し遂げることができるのだ。私はそう思った。ある特殊なチャンネルを通して、現実は非現実的になり得るのだ。あるいは非現実は現実になり得るのだ。(第2部P198)

〇どのような狭くて暗い場所に入れられても、どのように荒ぶる曠野に身を置かれても、どこかに私を導いてくれるものがいると、私には素直に信じることができるからだ。・・・私は騎士団長や、ドンナ・アンナや、顔ながの姿を、そのまま目の前に鮮やかに浮かび上がらせることができる。・・・私はおそらく彼らと共に、これからの人生を生きていくことだろう。そしてむろは、その私の小さな娘は、彼らから私に手渡された贈りものなのだ。恩寵のひとつのかたちとして。(第2部P540)