とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

女王ロアーナ、神秘の炎☆

 60歳を過ぎた古書店主ボドーニは、ある事故によりそれまでの記憶を失ってしまった。全部ではない。生活上で必要な意味記憶などは残りつつ、自分自身に関するエピーソード記憶だけが失われてしまった。妻と会い、子供と会い、友人や部下に会って、「あなたはこうだった。こんなことがあった」と教えてもらうが、教えてもらったもの以外で蘇ってくる記憶はない。そこで年少時代を過ごしたソラーラに行って、屋敷に残る古い書籍や絵画、漫画、レコード、アルバム、作文の類などを読み漁る。だがそれで習得する記憶は果たして本当に自分の記憶なんだろうか。数日・数週間にして新たに積み上げられていく自分の歴史と記憶。最後は再びの事故の結果の昏睡状態の中で、自分の歴史と記憶のイメージが広がり、それでいったい自分の思い出と夢とはどう違うのかと問いかける。

 ウンベルト・エーコが亡くなって2年が過ぎた。エーコの最後の小説「ヌメロ・ゼロ」は2016年9月に邦訳が刊行されているが、本書はエーコ全7作の小説のうち、5番目。イタリアでは2004年に刊行されている。ようやく今年の1月になって邦訳が発行された。図版が多く、そのため手続等に時間を要したのだろうか。現在、既にエーコが亡くなった後に本書を読むと、まるでエーコ自身、自分の死を予感して書いたのかと思うけど、けっしてそんなことはない。だが、私自身、60歳を超えて自分の人生を振り返ると、記憶のどこまでが真実で、どこから自分が勝手に形作ってしまった記憶なのか、よくわからなくなる。

 数年前に私も自分がまだ覚えているうちにと、生まれてから覚えている記憶をすべて書き出そうという試みを始めたことがある。10歳位まで何とか書き出したが、その後は挫折。書きかけの記録がまだパソコンの中に残っているが、エーコもそんな気分で始めたのだろうか。エーコの場合、自身、記号学者でもあり、多くの図版を自己所有している。それらもふんだんに掲載されているから、それらを見るだけでも楽しい。

 タイトルの「女王ロアーナ、神秘の炎」は「チーノとフランコ」というシリーズの「女王ロアーナの不思議な炎」という絵本から採られている。1935年の作品だ。「要するに、ばかばかしい話だった」(下P31)というが、その名前や表現に喚起された感情が、主人公の人間をつくり、何らかの影響を及ぼしている。われわれ人間はそんな存在であり、人生とはそんなものだ。

 これがウンベルト・エーコの最後の邦訳小説で、もうこれ以上エーコの作品を読むことはできない。それを考えると哀しい。十分ノーベル賞に匹敵する作家であった。もっと多くの人に知ってほしかった。またそのうち文庫本でも読みたくなるかもしれない。ウンベルト・エーコよ、ありがとう。そしてさようなら。

 

女王ロアーナ,神秘の炎(上)

女王ロアーナ,神秘の炎(上)

 

 

○跳ねるには前に跳ばなきゃならないが、そのためには助走が必要だ。つまりあと戻りしなきゃいけない。・・・要するにこれから何をするかをいうにはそれより前にしたことをしっかり考えなければならないんじゃないか。前にあったことを変えて物事を行う準備をするわけだ。(上P36)

○ぼくはバラバラの証言を、ときには思考や感情の自然な流れにしたがって、またあるときはその違いによって切り貼りした。記憶に残ったことはもはやソラーラで見たり感じたりしたもの事ではないし、まして子どものときに見たり感じたりしたであろうことでもない。それは作り事であって、10歳でぼくが考えたはずのことを60歳でまとめあげた仮説のようなものだった。(上P223)

○小さいころ何かお話を読むと、それを記憶の中で膨らませ、中身を変え、崇高にして、面白くもない話を神話にすることができる。実のところ、ぼくのぼんやりした記憶を明らかにしたのは話そのものではなく、題名だった。不思議な炎という表現が、ロアーナというとても甘美な名前が、言うまでもなくぼくの心を奪った。・・・<歴史に残る>ロアーナを忘れても、ぼくは別の不思議な炎の音の気配を追いつづけていた。(下P31)

○もし突然ぼくが考えるのをやめたらどうなるのだろう。このたくさん留保がついた<この世>に似た別様の<あの世>が再びはじまるのだろうか、あるいは暗闇や永遠の無意識となるのだろうか。・・・悔悛することがあれば悔い改めよう。だが悔いるためにはまず自分が何をしたかを思い出さなければならない。(下P103)

福音書をよく読めば、結局イエスも<神>が邪悪だとわかったことに気づく。・・・<神>はイエスに耳を傾けない。それでイエスは十字架に向かって、わが父よ、なぜ私を見捨てたのですかと叫ぶが、<神>は何も言わず、よそを向いた。一方で、イエスはぼくらに、<神>の邪悪を償うために人間に何ができるかを教えた。もし<神>が邪悪であるなら、ぼくらは善良でいるように、お互い赦しあいひどいことをせず、病人の世話をして侮辱の仕返しをしないように少なくとも努めようと。・・・だから、<神>はすごく怒っていたはずだ。イエスは悪魔などではなく、<神>の唯一の真の敵であり、ぼくら哀れな信者の唯一の友だ(下P152)

○たぶん、そう、ぼくは昏睡状態にある。けれど昏睡状態でぼくは、思い出すのではなく夢を見る。・・・ぼくらは偽物の思い出を夢に見るのだ。・・・この瞬間ぼくは暫定的なぼくなのかもしれず、明日になれば、命を奪われる氷河期の到来に悩みはじめる恐竜になるかもしれない・・・自分が何ものかを知りたい。・・・ぼくは狂っているだろうか?・・・ぼくは昏睡状態にはなくて、無気力の自閉性に閉じ込められているのに昏睡状態にあると信じていて、夢で見たことはほんとうではなく、それをほんとうにする権利があると思っていると。(下P232)