とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

忘れられた巨人

 「カズオ・イシグロの視線」を読んで、本書を読み直そうと思ったのだったか? 一度は単行本(「忘れられた巨人」)を図書館から借りて読んだが、文庫版が出た際に購入しておいた。改めて読んでみると、雌竜クリエグの息は確かに私の脳を覆っていたようだ。最初の船頭とのやり取りは覚えていたが、最後にもう一度、船頭と会い、島へ渡る結末のことなど、すっかり忘れていた。ガウェイン卿が実は雌竜の護衛役だったことも。

 それでもノーベル賞受賞の報に接した時、この作品がもっとも面白いと書いている(「カズオ・イシグロ、ノーベル賞受賞!」)。この時はまだ小説の内容を覚えていたのか。そうではなく、夫婦の愛の強さと忘却の力が心に深く残っていたからだろう。そして再びそのことを思う。訳者あとがきに、カズオ・イシグロEU離脱に批判的なことが書かれている。また、江南亜美子の解説には、昨今の日韓関係(隣国との歴史認識の相違)に関する記述もある。まさに本作品で描いている状況そのままの状態にあるのかもしれない。だからと言って、掘り起こさずにおけばよかったのか。

 そうではないはず。そして、悪い記憶を取り戻してこそ深まる愛もある。一方で、忘れるからこそ癒える傷もある。まさに忘却の力。しかし忘却は思い出してこそ、忘却であったことを認識することも事実。だとすれば、我々はうまく忘却と付き合いつつ、真実を受け入れていくことが重要だ。恐れず。神に委ねることなく、我々自身の力で。

 

忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫)

忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫)

 

 

○その男が言ったのは、ひょっとして神ご自身がお忘れになったのではないか、ということだ。…神の頭に残っていないんじゃ、命に限りある人間の頭に残るはずがない、とな」…「そんなことありうるかしら、アイパー。わたしたちはみな神のいとし子でしょう? わたしたちがしたこと、わたしたちに起こったことを、神が忘れるなんて……」(P102)

○「しかし、霧はすべての記憶を覆い隠します。よい記憶だけでなく、悪い記憶もです。そうではありませんか、ご婦人」/「悪い記憶も取り戻します。仮に、それで泣いたり、怒りで身が震えたりしてもです。人生を分かち合うとはそういうことではないでしょうか…アクセルとわたしの心の中には、お互いへの思いがあります。それがあれば、霧に何が隠されていても、今日からの道に危険などありません。…どんな形だったにせよ、二人の大切な人生ですもの」(P240)

○この雌竜の息なしで、永続する平和が訪れただろうか。われらのいまの暮らしを見よ。この村でもあの村でも、かつての敵が同胞となっている。…この息が止まったとき、いまでも国中で何が起こりうるかを考えてみよ。…この国が忘却に憩うままにしてほしい」(P429)

○おまえとわたしは、懐かしい記憶を取り戻したくてクリエグの死を望んだ。だが、これで古い憎しみも国中に広がることになるのかもしれない。…昔ながらの不平不満と、土地や征服への新しい欲望―これを口達者な男たちが取り混ぜて語るようになったら、何が起こるかわからない」…かつて地中に葬られ、忘れられていた巨人が動き出します。…そのとき、二つの民族の間に結ばれた友好の絆など、娘らが小さな花の茎で作る結び目ほどの強さもありません。(P446)

○「教えておくれ、お姫様」爺さんが言っている。「おまえは霧が晴れるのを喜んでいるかい」/「この国に恐怖をもたらすものかもしれないけど、わたしたち二人には、ちょうど間に合ったって感じね」/「わたしはな、お姫様、こんなふうに思う。霧にいろいろ奪われなかったら、わたしたちの愛はこの年月をかけてこれほど強くなれていただろうか。霧のおかげで傷が癒えたのかもしれない」(P477)