とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

できそこないの男たち

 「本が好き!」に2007年10月から1年間連載してきた生物学エッセイを中心にまとめたものである。テーマは「生殖、遺伝」。全部で11章。筆者お得意の実話を交えたミステリー・タッチでグイグイと読む者を惹きつける。
 プロローグは1988年、コロラド州カッパーマウンテンの生物学に関するある研究会発表から始まる。そして自身のポスドク時代の挿話が入り、生に纏わる一編の詩で終わる。ドラマティックな構成。
 第1章では精子に纏わり、併せて顕微鏡技術の歴史を振り返る。第2章はネッティーが発見したY染色体の話。第3章〜第5章では、冒頭の研究会でのデイビッド・ペイジの画期的な発表と「誤認逮捕」、そして「SRY遺伝子」の発見の物語が綴られている。
 第6章以降は男と女の話だ。もちろん情話ではなく科学的な性差の成り立ちとそこに隠された自然の意図。メスだけで受け継がれてきた生命の仕組みが、ある時に、環境の変化に対応していくためにオスを生み出す。その仕組み。その痕跡。それを示す身体的特徴。脆弱な男性。できそこないの男。
 第9章では一転、Y染色体の変異の世界的分布と系統が説明される。Y染色体の役割は少ない変化に留まるY染色体自身にあるのではなく、X染色体を混ぜ合わせることにあった。そのストーリー展開はまるで推理小説のようである。
 第10・11章では、ハーバード大学医学部を舞台に露見した超有名教授による巨額の不正経理事件を紹介する。そしてこの事件を陰で操った妻の存在。男はしょせん女の使い走りにすぎないのか。
 エピローグは一転、「性的快感がなぜあるのか」その理由を考える。これは筆者の「立証される見込みもない、あてどない仮説」。人間の媒体としての時間。その媒体に触れることのできる「加速度」こそが最大の快感という仮説だ。本当かどうかは誰にもわからない。立証される見込みもない。
 全編ワクワク感とともに読み終えた。いつもながら面白い。やめられない面白さ、だ。

できそこないの男たち (光文社新書)

できそこないの男たち (光文社新書)

●教科書がなぜつまらないのか。それは、なぜ、そのとき、そのような知識が求められたのかという切実さが記述されていないからである。そして、誰がどのようにしてその発見に到達したのかという物語がすっかり漂白されてしまっているからでもある。(P37)
●私たちは知っているものしか見ることができない。(P56)
●誰の目にもそれが見えたのではなく、ネッティー・マリア・スティーブンズの目だけがそれを見たのだ。ところが全く不思議なことに、ネッティーがそう言明して以来、彼女だけに見えていたものは、誰の目にも見えるようになったのである。(P79)
●メスは太くて強い縦糸であり、オスは、そのメスの系譜を時々橋渡しする、細い横糸の役割を果たしているに過ぎない。(P184)
●アダムがその肋骨からイブを作り出したというのは全くの作り話であって、イブたちが後になってアダムを作り出したのだ。自分たちのために。(P185)
●私たちは媒体の中に浸されて、媒体とともに動く。・・・私たち人間は、媒体としての時間の存在を知覚することができない。・・・時間の存在を、時間の流れを知るたったひとつの行為がある。時間を追い越せばよい。・・・巡航する時間を追い越すための速度の増加、それが加速度である。加速されたとき初めて、私たちは時間の存在を感じる。そしてそれは最上の快感なのだ。なぜならそれが最も直截的な生の実感に他ならないから。(P283)