とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

街場の大学論

 久しぶりの内田本である。2007年に発行された「狼少年のパラドクス」を文庫化したもの。副題に「ウチダ式教育再生」とあるように、筆者による教育関係のブログ記事を集めた教育論である。これに京大仏文科の吉田城氏への追悼文と文科省官僚の杉野剛氏との対談記が2編掲載されている。
 内田氏の教育論は常日頃からブログに書かれていることとほとんど変わらない。そもそもブログから抜き出したものだし。追悼文は普段の筆致と違い、旧友への愛情にあふれ、ジンと来る。文科省官僚との対談は、やや籠絡された感があって期待外れ。グダグダと批判をするが、「そうですね」と同意され、いなされてしまう。相手が1枚上か。
 あとがきに、「自分の意見がこの10年間でずいぶん変わった」と書かれているが、それほどとは思わない。ただ本人としては、自己評価委員長としての活動に対する徒労感があったのかもしれない。それはまるで官僚に籠絡される姿のよう。内田氏も少し年を取ったのかもしれない。

街場の大学論  ウチダ式教育再生 (角川文庫)

街場の大学論 ウチダ式教育再生 (角川文庫)

●彼の大学論はそのまま新聞論としても読むことができる。どんな論件にも妥当する推論形式は「普遍的真理」を語っているとみなすべきか、それとも「具体的なことは何も語っていない」とみなすべきか。そのご判断はみなさんにお任せしよう。(P21)
●個人的責任を問われないのなら別に大学なんかつぶれても構わない。そう思っている点では、銀行の頭取も企業経営者も官僚も政治家も同じである。それが日本のエスタブリッシュメントの「標準」的なモラリティなのである。/この20年、そうやって多くの銀行がつぶれ、多くの企業がつぶれ、多くの第三セクターが破綻した。(P103)
●今日、社会的上位者には教養がない。かわりに「シンプルでクリアカットな言葉遣いで、きっぱりとものを言い切る」ことと「自分の過ちを決して認めない」という作法が「勝ち組」の人々のほぼ全員に共有されている。・・・だが、「ひそみにならう」人々は、これが階級差形成の主因であると「誤解」して、・・・そうして教養が打ち捨てられたのである。(P126)
●人生の達成目標を高く掲げ、そこに至らない自分を「許さない」という生き方は(ごく少数の例外的にタフな人間を除いては)、人をあまり幸福にはしてくれない。/あまり言う人がいないから言っておくが「向上心は必ずしも人を幸福にしない」。幸福の秘訣は「小さくても、確実な、幸福」(村上春樹)をもたらすものについてのリストをどれだけ長いものにできるか、にかかっている。(P170)
●僕たちはなぜ働くのか。なぜ憲法に国民の三大義務として勤労が記されているのか。・・・勤労が義務なのは、労働することが本質的に公共目的をめざしているからでしょう。(P296)