とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

共生経済が始まる

 東日本大震災被災した地域をいかに復興すべきか。そんな気持ちでいた時に本書のタイトルが目に止まり購入した。だが読んでみれば、2005年にNHK教育テレビで放送された内容をベースにまとまられた第2部「『共生経済』宣言」を中心に、第1部「序にかえて」はリーマンショック後の単行本発行時(2009年2月)の書き下ろし、第3部では神戸新聞などの投稿された短い記事が集められている。さらに東日本大震災を踏まえて書かれた「文庫版まえがき」が添えられている。
 全編を通して、主張していることは変わらない。小泉内閣の「市場原理至上主義」を批判し、「FEC自給圏」を主張する。自己増殖を志向する「マネー」を批判し、本来の「お金」の機能をベースに継続する「共生経済」を主張する。第2部でまとめて論じられているが、第3部でもほとんど同じ文章が現れる。第1部でもまえがきでも。
 ただ、「共生経済」の理念はわかるが、現実の姿が見えてこない。日々の暮らしは見えるが、全国規模での継続する形が見えてこない。東日本大震災後、特にフクシマ原発を巡って、権力側の真の姿が見えるようになってきた。だが、それに対抗する形が見えてこない。小さな実践が共生経済を作ることにつながるのか。
 怒りは見えるが、現実が見えてこない。小さな理想は見えるが、大きな可能性が見えない。確かに正義だと思うんだけど、そこへの道筋が見えない。「共生経済」、すぐにでも実現してほしいのだが・・・。

共生経済が始まる―人間復興の社会を求めて (朝日文庫)

共生経済が始まる―人間復興の社会を求めて (朝日文庫)

●私たちの国の政治家、財界人は口を開けば、お題目のように国際競争力国際競争力と叫んでいます。しかし、他の社会的条件の充実を捨象して国際競争力強化だけに専念すればするほど、結果は逆に、景気の「自律的回復力」は衰え、ひいては国際競争力そのものが弱くなってしまう。いまや大逆説の撃たれているのが、ほかならぬ日本の現実です。(P43)
●企業・事業は何のために利潤を追求するのか、その真意は人びとの生活・生存の基盤を強固なものに築くために存在し、活動をつづけるもの、というべきです。すなわち「暮らし」を守るということです。/日本型自営業こそは、事業の生産基盤と、人々の生活・生存基盤が重なり合い、そのことによって地域社会と同心円を描いている。・・・地域社会を支えているのは日本型自営業なのです。(P101)
●もともと人間本来のあり方とは「生きる・働く・暮らす」の三要素がばらばらではなく統合されていること。・・・この「生きる・働く・暮らす」を統合し、地域社会を支えているのが、ここにいう日本型自営業なのです。(P102)
●権力・権威・権限をもつ個の利害を体現しつつ、「頂点」から降りてくる言説を指して私は「権論」と呼び、逆に草の根から湧き出る変革の思潮を「民論」と呼んできた。・・・嵐が吹き過ぎてしまえば、「異常」を「異常」とさえ感得できず、最も重大なテーマを問う「民論」に対して、「今更」などと一顧だにしない、そのような「権論」の前にジャーナリズムが立っていいはずはない。(P250)