とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

無意味の祝祭

 昨年読んだ「別れのワルツ」に続いてミラン・クンデラ。でも今年4月に発行された久しぶりの小説はわずか139ページ。短編だ。ミラン・クンデラも既に85才を越える。それでこれだけの小説を書けること自体が素晴らしいことかもしれない。
 世の中や人生を斜に見る皮肉っぽい調子は相変わらず。人は死んで、忘れられる。稀に歴史に残る人も人形劇の中の操り人形に過ぎなくなる。そしてスターリンと24羽のヤマウズラの話。唯一好々爺として愛されたカリーニンだけがカリーニングラードという地名として残っている。
 人間なんて性別も生まれる国も時代も選べない。人間なんてそんなもの。人生なんて無意味。無意味こそ人生の本質。そう謳い上げて人生を、社会を笑いのめす。85才を過ぎてもなお健在なミラン・クンデラ節。今、最新作を読めることを幸せに思う。人生なんて所詮それだけのものだから。

無意味の祝祭

無意味の祝祭

●「時は流れる。そのおかげで、まずぼくらは生きている。つまりは告発され、裁かれる。やがて、ぼくらは死ぬ。それでもなお何年かは、ぼくらを知っていた者たちとともに残っている。だが、たちまちのうちに別の変化が生じる。つまり、死者は古い死者となり、古い死者のことを思いだす者はだれひとりいなくなって、彼らは虚無のなかに消えていく。ただ何人か、きわめて稀な者たちだけが人々の記憶にその名を残すにすぎない。ただし、そんな稀な者たちも、どんな真正な証人もいなくなり、実際のどんな思い出もなくなってしまうから、操り人形に変えられてしまうのだ……。(P29)
●われわれはずっとまえから、この世界をひっくり返すことも、作り直すことも、この世界の不幸な成り行きをとめることもできないと理解している。可能な抵抗はひとつしかない。この世界を真面目に受けとらないということだ。(P89)
●あんたに見える者たち全員、だれひとりじぶんの意志でそこにいるわけじゃないのよ。もちろん、いま言ったことはあらゆる真理のなかでもっとも平凡な真理だわ。・・・性別だって、別にあんたが選んだわけではないでしょう。じぶんの眼の色だって。じぶんの世紀だって。じぶんの国だって。じぶんの母親だって。大事なものはなにひとつ選んだわけじゃない。人間がもつことのできる権利なんて、どうでもいいことしか関係ないのよ。(P121)