筆者の辻田真佐憲は1984年生まれ。まだ30代だが、「戦前」の事柄についてよくここまで調べたものだ。私などは、学校教育ではほとんど戦前のことは教えられず、一方で、戦前に生まれた父母や祖父母から戦前のことを聴いて育った。そのため、天皇皇統譜もある程度まではそらで言えるし、建国記念日や勤労感謝の日の由来も知っている。八紘一宇や大東亜戦争という言葉も知っているし、軍歌もいくつかは記憶の底から浮かび上がってくる。
でも、これらはあくまで表象のことで、実際、明治以降、どういう教育がされ、どういう国づくりが進められたのかまでは十分には知らない。筆者は「神話国家」という言葉を使うが、まさに明治維新後、日本政治を担った政府の面々は、「神武創業」という神話を持ち出し、西欧諸国に伍した新たな国民国家づくりを始めた。しかしそれは明らかにやり過ぎたのだろう。筆者は「ネタがベタになった」と言うが、まさに新しい国家づくりのためのネタとして持ち出した「神話国家」という概念が、ベタな事実として理解され、国家指導者さえも縛り、そのまま敗戦に突っ込んでいった。
亡くなった安倍元首相は「戦後レジームからの脱却」を唱え、「日本を取り戻す」と言った。あたかも「戦前」を賛美していたように聞こえる。三原じゅん子に至っては「八紘一宇」を礼賛し、教育勅語を再評価する政治家も多い。だが、彼らは実際のところ、どこまでこれらの概念の意味を知っているのだろうか。本書では、これら政治家の支持する教育勅語が、戦後、佐々木盛雄という政治家によって作成された「国民道徳協会訳文」ではないかと指摘し、その問題点を批判する。
その他にも、私も知らない事実が多く披露されている。例えば、現在、一般的に認められている皇統譜が、ようやく大正末期になって完成したものだということ。神武天皇陵も明治後になっていくつかの候補地から決定されたということ。明治天皇の御真影がイタリア人画家キヨッソーネの作品を撮影したものであること(ゆえに西洋人らしい風貌)。その他にも、天孫降臨や三大神勅、靖国神社の歴史や敗戦時の三種の神器にまつわるエピソードなど、これまで知らなかったことがいくつも披露されている。
一方で、こうした「上からの統制」だけでなく、これを歓迎し受け入れていった「下からの参加」があって、「戦前」が形作られていったことも指摘する。本書の最後で、筆者は、こうした戦前の物語を採点し、「全体的にみれば欧米列強の侵略に対して近代化・国民化を成し遂げた」(P286)ことを評価して、65点という点をつける。そして「今後、新しい国民的物語を創出しようとするときにも…」(P286)というのだが、それは必要なものなのだろうか。
「物語」の危険性は、千野帽子が「人はなぜ物語を求めるのか」でも指摘していた。日本を救う物語は必要なのか。いや、人は国家運営に対しても物語を求めてしまうものなのか。そもそもそれは意図して作られるべきものなのか。いや既に、意図して作ろうとする人々がいるのかもしれない。「戦前」という物語は既にその真実の姿とは違うものとして語られ始めている。その可能性も否定できないのではないか。
○元禄年間に行われた幕府の修陵事業で、神武天皇陵は塚山に定められたが、現在ここは二代目の綏靖天皇陵となっている。/神武天皇陵が今日の場所に定められたのは…幕末になってからだった。…1863年、勅裁により神武天皇陵が神武田に変更されたのである。/この場所は…江戸初期には、人糞を用いる糞田だったという記録も残っている。…なお残りの丸山は…本居宣長…といった知識人も推した有力地だった。それでも外されたのは、近くに被差別部落があったからだといわれる。(P41)
○現在の皇統譜では神功皇后は天皇として認められていない。ただ、それはけっして決定的なものではなかった。/そもそも皇統譜の確定にはずいぶんと時間を要している。…最終的に皇統譜が完成するのは…1926(大正15)年のことなのである。…しかもその認定は、かならずしも学術的な成果に基づくものではなかった。…政治状況次第で、またちがった皇統譜もありえたのだ。(P132)
○神話は義務教育などでは事実として教えられていた。だが、指導者たちはそれが統治のための方便であることをよく知っていた。…しかし、表向き神話が事実なのだとすれば、神話にもとづいて世界を語…らない指導者たちは、神話を…ないがしろにしているのではないか―。…神話に基礎づけられ、神話に活力を与えられた神話国家の大日本帝国は、それゆえに、オカルティックな想像力に飲み込まれやすいという構造的な欠陥を抱えていたのではなかったか。(P216)
○明治の指導者たちは、神話を一種のネタとわきまえたうえで、迅速な近代化・国民化を達成するために、あえてそれを国家の基礎に据えて、国民的動員の装置として機能させようとした。/その試みはみごとに成功して、日本は幾多の戦争に勝ち抜き、列強に伍するにいたった。しかるに昭和に入り…神話というネタはいつの間にかベタになり、天皇や指導者の言動まで拘束することになってしまった。/ネタを守るために、国民の生命が犠牲にさらされる。…ネタがベタになるリスクをこれほど物語るものもほかにない。(P269)
○たしかに戦前の物語はいくらでも欠点が指摘できる。だがそれで植民地化の危機をまぬかれることができたのだから、一定の評価は与えられてしかるべきだろう。ただそれを神聖不可侵にしてしまうとネタがベタになる危険がある…今後、新しい国民的物語を創出しようとするときにも、このような曖昧さをあえて取り込むべきだろう。そしてそのほうが、結果的に物語は強靭なものとなり、長く日本の指針となるはずだ。(P286)