とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

民主主義とは何か

 宇野重規と言えば、日本学術会議で任命を拒否された6人のうちの一人ということで、どんなことを書いているのかと多少の興味もあったが、案の定、ごく普通の、学問的内容の本だった。中日新聞には定期的に論説が掲載されているが、浜矩子に比べれば、はるかに常識的な内容だ。でも、今回、学術会議問題で一躍有名になり、本書もかなり売れたのではないかな。政府さまさまかも。

 で、本書だが、民主主義の歴史を古代ギリシアから現代まで、時々の識者等の言説などを紹介しつつ、辿っていくというもので、特別な結論や主張があるわけでもなく、ある意味、政治学の教科書を読んでいるような内容の本である。もちろん、政治学など学んだ経験のない私にとっては、それでも勉強になることは多かったわけだが、中でも「共和政は、肯定的な意味合いをもつ言葉として…使われ続け…対する民主政には、否定的な含意がつきまといました。…民主主義が肯定的な言葉として用いられるようになったのは、ここ数世紀のことに過ぎません」(P80)という文章には驚いた。

 世界には「民主(主義)共和国」と称する国が多くあるが、民主政と共和政はまったく別の概念であるということに初めて気付かされた。別どころか、対立するものですらあった、ということに。

 だが、そもそも「民主政」とは何だったかと言えば、「全員参加の全員議論の上に全員で合意の上、決定する仕組み」であり、「全員参加が必ずしも常に正しい決定とは限らない」ことから、より「公共の利益」につながる政策決定の仕組みとして、「共和政」が生まれた。だがこうして、君主政・貴族政・民主政の要素を取り込む形で共和政をスタートさせた古代ローマ帝国も、結局は衰退し、中世ヨーロッパでは国王と貴族が併存する形で国家が治められていく。

 第2章以降は、17世紀イングランドでの議会の誕生、フランスの3部会とフランス革命アメリカの独立革命などの歴史を追いつつ、トクヴィルやルソー、ミル、ウェーバー、シュミット、シュンペーター、ダール、アーレントロールズなどの政治論、デモクラシー論を紹介していく。このあたりはそれぞれの主張も異なるし、全体的な流れをもって進んでいくわけでもないから、理解がなかなか難しい。第5章では日本の民主主義の歴史を振り返るが、それもかなり駆け足で、正直、あまり頭に入っていかない。

 で、結局最後に、「民主主義の未来」について語るわけだが、そもそも民主主義とは何だったのか。全員参加が不可能かつ多くの欠点を持つとして、代議員制に代わられ、それをもって民主主義と称するも、代議員の暴走や国民の社会参加意識の希薄化などの問題は今になっても解決されていない。日本学術会議の問題などを見るにつけ、日本において民主政はますます遠いものとなりつつあるようだ。

 民主政は本当に託して足る政治制度なのか。民主主義を絶対視することが本当に正しいのか。本書を読むにつれ、民主主義に対する疑念すら湧いてくる。「結び」で、「民主主義は制度か、理念か」という問いが立てられて、筆者は「両者を不断に結びつけていくことこそが重要だ」としているが、それはつまり「『理念』を大事にしつつ、それを実現できる『制度』の探求は不断に進めるべき」という意味だと理解する。日本に民主主義は、理念としても制度としてもまったく根付いていないし、後退しつつあるのではないかと危惧する。筆者の学術会議任命拒否こそがそれを象徴する事件ではなかったかと思う。

 

民主主義とは何か (講談社現代新書)

民主主義とは何か (講談社現代新書)

 

 

○「政治」には、公共の場所において、人々が言葉を交わし、多様な議論を批判的に検討した上で決定を行うという含意があります。あるいは、それこそが「政治」の定義なのです。…およそ人間が集まれば、そこに政治があるとしばしばいわれますが…少なくとも古代ギリシアの人々にしてみれば…あくまで、自由で相互に独立した人々の間における共同の自己統治こそが「政治」だったのです。(P48)

○忘れてならないのは…対立が民主主義にとって不可欠でもあったということです。民主主義において必要なのは同意だけではありません。対立もまた必要だったのです。というのも…同意だけでは、少数者による支配に逆戻りする危険性を防げないからです。貴族と平民の対立こそが政治にダイナミズムを与え、民主化へ進む推進力となったのです。声を上げる人なくして民主主義はありえないことは、いつの時代にも変わらない真理でしょう。(P56)

○民主政が「多数者の利益の支配」を含意するとすれば、共和政は「公共の利益の支配」を意味しました。「多数者の利益」は…社会全体からみれば部分利益にすぎません。これに対し、「公共の利益」は社会全体の利益であるというわけです。…加えて、古代ローマの共和政…は一つの政治体制の中に君主政・貴族政・民主政の要素を組み込むことで、政治体制の堕落を食い込めようとしました。(P79)

○いずれの市民も地域の諸問題をよく理解し、政治的見識という点でもみるべきものがあります。…その原動力にあるのは自治であり、人々は自らの地域の問題を自らのことがらとして捉え、それゆえに強い関心をもっています。政府の力が弱い分、学校、道路、病院などについても、自分たちの力でお金を集め、あるいはそのための結社を設立して事業を進めていく姿に、トクヴィルは民主主義の可能性を見出したのです。(P109)

○執行権が強化されるなかで、政党や議会はそれを十分チェックすることができず、民主主義の力が十分に及ばなくなっている点も深刻です。…この執行権を直接的に民主的な統制の下に置かない限り、民主主義は実質化しないとするロザンヴァロンの問題提起は重要です。…市民は立法権を媒介とすることなしに、より直接的に執行権に対しアイディアを寄せ、同時にその活動をチェックすべきなのです。(P255)