とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

太陽諸島☆

 タイトルを見たときには、「地球にちりばめられて」「星に仄めかされて」に続く3部作の最終編とは思わなかった。Hiruko、クヌート、アカッシュ、ナヌート、ノラ、そしてSusanoo、6人揃って、Hirukoの失われた国をめざし、船で東へ向かう。船の食堂には6つのテーブルがあり、それぞれ、水星、金星、地球、火星、土星木星と名付けられている。「太陽諸島」のタイトルは、ここから取ったのかもしれない。Hirukoたちのグループが囲むのは「地球」。

 ところが船が進むのはバルト海。海の東は閉じられている。コペンハーゲンを出た船は、ドイツ、ポーランド、そしてロシア領のカリーニングラードと寄港していく。ドイツのリューゲン島から乗り込んだポーランド出身という男性が「国よりも町の方が信頼できる」と言う。ロシアの飛び地、カリーニングラードではドイツに憧れるウラジオストック生まれの教師と話をする。そして、失われた母国に行こうとするHirukoは、サンクトペテルブルクで降りてシベリア鉄道に乗ろうとするが、ビザがなく、船を降りることができない。

 ではどうするか。フィンランドを経て、北回りで東へ向かうか。だがその時、Hirukoが言う。「みんなが住める家になりたい…わたし自身が家船」。母国も言葉も信条も違う彼らは、時にすれ違い、時に戸惑い、時に感情をぶつけ合いながらも、お互い気遣い、お互いに楽しみ、いつまでも一緒にいたいと思う。結婚しても「カップルと言う言葉はバスタブ。家の一部に過ぎない。・・・わたしはバスタブではなく家になりたい」(P304)というHirukoの言葉もいい。

 多和田葉子の小説はけっして最後は暗くならない。ハッピーエンドでもないけれど、人生は続いていく。3部作は終わるが、6人は今もまだ、一緒にどこかを旅していることだろう。国境などに囚われず、丸い地球の上を。いや、Susanooはロシア人の女性、クシナダヒメと安定した暮らしを手に入れたかもしれないが。

 

 

○「ノーリターン、ノーリスク」と言ってみたのは、過去を振り返らなければ危険はないよ、という意思をこめたつもりだった。ところが一度口にしてみるとどういうわけか、危機を冒してでも過去をふりかえってみた方が良い、と言ってしまったような後味が残るから不思議だ。…あまりに長い旅に出るとそのうち旅をすること自体が目的地になってくる。そうなるともう急ぐ必要もないので何でもありで、今と昔が混ざっている方が快くなる。昔を切り捨てる必要がなくなるんだ。それと似ているかな。」(P16)

○「オリンピックか。いつも思うんだが、ある町出身の選手がメダルをとった後で、その町が別の国に属するようになったら、メダルはどうなるんだろう…「わたくしの生まれた町は当時ポーランドではなくロシア領だった。ポーランドにとっては国がなくなるという事件はそれほどめずらしくはない。だから国よりも町の方が信用できる。(P77)

○わたしは自分の生まれ育った「くに」に帰りたいのではない。忘れてしまいたいのでもない。一体どうなったかが知りたいだけだ。漢字の国がいつの間にかひらがなの「くに」になっていた。みんなといっしょに、あのくにを訪れたい。その時、あのくには懐かしさの中に失われたものではなく、計り知れない未知に変貌しているだろう。(P147)

○「もしもわたしがかつて暮らしていた土地にある日また戻ることができ、その土地に立ったら、その時ヨーロッパがフィクションのように見えてしまうかもしれない。でもそうすると、今わたしに一番近い存在である旅の仲間たちが物語の登場人物になってしまって、わたしだけが現実という名前の孤独な場所に残される。それは嫌です。みんながいっしょにいるためには、知らない人たちをフィクション化するのはやめるか、みんなでフィクションになってしまうか、どちらかなのではないでしょうか。」(P214)

○「わたしは子供の頃、家にイイエと言われ続けた。…だから…自分の方から家にイイエと告げて、遠い土地に去った。そんなわたしが今、イイエから家になろうとしている。みんなが住める家になりたいと本気で思っている。…わたし自身が家船。…その中にクヌートが乗っている。アカッシュも乗っている。…「俺も乗せてもらう」とナヌークが言うとノラが「それなら私も乗せて」と条件反射の素早さで答えた。(P310)