とんま天狗は雲の上

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戦争取材と自己責任☆

 2015年7月から18年10月までの3年4ヶ月、シリアで拘束され、帰ってきたジャーナリストの安田純平に、パレスチナを中心に活動するジャパンプレス所属のジャーナリスト、藤原亮司がインタビューする形で進められる対談集。安田純平と言えば、日本に帰ってきた時の一部メディアからのバッシングが酷かったのは覚えているが、毅然とした態度の前で、程なく批判も沈静化したと思っている。しかし未だに外務省は、安田氏から申請されたパスポートの発給を止めている。イラクから入国禁止処分を受けているということが理由だが、イラクやシリア以外の国へも渡航できないようしているのは過剰だ。本書の後半では、このことも含めて、自己責任論について議論を交わす。

 が、その前に、安田氏の拘束と解放についてである。第1章では当時のことを詳細に述べている。ただし、いったいどの組織が安田氏を拘束したのか。なぜ突如、解放されることとなったのかは、安田氏自身もわからない。ただ、2018年9月に、トルコとロシアが過激派の排除について合意しており、拘束者が過激派ではないことを示すために解放したのではないかと推測する。一部のマスコミやネトウは、身代金の支払いがあったというデマを前提に安田氏を叩くが、生存証明のための質問が解放後にしかされなかったことなどを挙げて、支払いはなかったと否定している。日本はこれまでJICAスタッフを除いて、ジャーナリストに対して身代金の支払いを行ったことはない。

 続く第2章は、シリア以外にもこれまで両者が取材してきた紛争地の状況。さらに第3章・4章では、それぞれの半生を振り返りつつ、自らその場に身を置いて生の情報を伝える紛争地報道の必要性を訴える。そして第5章以降で、自己責任論と戦争取材の意義について語り合う。

 なぜ、紛争地ジャーナリストに対してこれほどまでに執拗にバッシングをするのか。そこには、日本国民が紛争地報道に対して価値を認めていないという現状がある。日本政府も、紛争地の実態などの情報を自ら求めるのではなく、アメリカなど他国から伝えられたものや他国メディア等からの情報だけで十分だと考える。マスコミもまた、入手した情報を日本人の目で吟味し検討することなく、そのまま伝えることが仕事だと思っている。国民も、「情報を得て、判断する」のは政府の仕事で、自分はそれに従えばいいと思っている。つまり、自分では何も考えない。これって、現在の新型コロナウイルス感染にかかる状況にも通じるのではないか。

 藤原が本書の終盤で「『考えないほうが楽に生きていける』状況になっているということは、『考えないと生きていけない時代』を迎えつつあるということだと思います。」(P223)と言う。その予感が正しいとすれば、生の情報はこれまで以上に重要になるはずだ。情報がなければ考えられない。考えられなければ生きていけない。安田氏らにしてみれば、命懸けで得た情報を、それをないがしろにする日本に伝えなくても、必要とする国へ伝えて対価を得るという方法だって考えられる。彼らの気持ちが日本に向いている限りは、それにしっかり応えていかなくてはいけないのではないか。

 

戦争取材と自己責任

戦争取材と自己責任

 

 

○【安田】「自己責任論」と言いながら実は「自己責任など取れないのだから政府の認めた範囲で行動しろ」という「自己責任は取らせない論」が定着し、さらに進んで、政府責任において規制することとなった。…政府の責任において本人の責任を剥奪する。もはや「自己責任論」ですらなくさらに先に進んでいるのですが、これについても「当然だ」と思う感覚はかなり広がっていると思います。(P162)

○【安田】国民が政府をつくるのは国民生活を守るためで、政府による保護は税金を払っていることへの対価としてではありません。払えなくなってしまう状況に陥った場合も含めて、それでも生きていけるような社会にするために政府をつくっているわけなので、払った分だけ対価を得るという政府にするなら、それは政府ではなくて民間企業でいいという話になりますね。これはもう国家解体論ですね。(P168)

○【安田】各国のジャーナリストが出入りしている紛争地だと、他国の場合は大使館員がジャーナリストに情報をもらいに行くけど、日本の場合は…「早く帰ってください」と説教しに来ます。…報道というもの、とくに紛争地の報道が必要だということが社会的に認知されているかどうかの違いでしょう。その価値観が醸成されている国では…ジャーナリストが万一…人質になったとしたら、政府が金を払ってでも救けるべきだという共通認識がある。(P175)

○【安田】この20~30年、日本社会は閉塞感に覆われ、世界的に見ても飛び抜けて経済成長していません。社会の同調圧力が大きくなったことで、それを超えて選択の自由を行使することと引き換えに負うマイナスの責任があまりにも大きくなり、人々の意欲が失われた結果だと思います。…そういう社会には発展の可能性がありません。(P198)

○【安田】自分の意志で何かを選択するには情報が必要です。…「知る権利」というのは…政府の行っていることが妥当なのかどうかを国民が判断するために…必要だから…存在する…。これを否定したら民主主義国家ではなくなります。…【藤原】今の日本が、「考えないほうが楽に生きていける」状況になっているということは、「考えないと生きていけない時代」を迎えつつあるということだと思います。(P222)