とんま天狗は雲の上

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2050年のメディア

 「2050年のメディア」というタイトルは、筆者が2018年に慶應大学湘南藤沢キャンパスで始めた講座名であり、働き始めて32年、では32年後の2050年のメディアはどうなっているのか考えてみたいという趣旨で付けられた。しかし2050年のメディアを予測する内容の本ではない。逆に、日本の新聞を中心とするメディアが、インターネット化が進む中で、いかに経営や業態を変化させ、また変化できずに今に至っているかを、多くの関係者への取材で明らかにしていくノンフィクションだ。

 取り上げるメディアは、読売新聞、日本経済新聞、ヤフーの3社。関連して共同通信なども取り上げられる。2001年には1028万部を誇った部数も2018年には873万部にまで減少してしまった読売新聞。こうした状況に安閑としていたわけではなかったが、「イノベーションのジレンマ」が変革の足を引っ張った。日本経済新聞は1996年に「NIKKEI NET」を始め、さらに有料電子版の発行を模索していく。一方、インターネットの勃興とともに、孫正義アメリカのヤフー社を口説いて1996年に創業したのがヤフー・ジャパン。その後、3社はそれぞれの紆余曲折を経て、現在に至っていく。

 その間には、読売と朝日、日経が連携して始めた「あらたにす」や、巨人軍の「清武の乱」の内実なども描かれる。そして、時代の変化に乗ってトップ企業になったはずのヤフーですら、「イノベーションのジレンマ」に囚われ、スマホアプリへの対応が遅れ、またノアドットの設立にあたっては消極的な姿勢に終始し、足を引っ張る形となっている。

 パソコンとインターネット、そしてスマホと、我々の生活は大きく変わった。新型コロナはまた、テレワークなど新しい生活スタイルを生み出しつつある。2050年のメディアはさらに変わっているはず。そしてそれを牽引するのは、常に若い力だ。ヤフーもソフトバンクの子会社となって、「メディア企業」から「データ企業」へと変わりつつある。それに伴い、これまでヤフーを牽引してきた多くの社員が退社し転職をしている。それにしても、彼らは実に若い。そして女性が多く登場するのもこの業界ならではのことだろうか。それとも今はそういう時代なのか。

 紙の新聞など知らない若者や女性たちが新しいメディア業界を作っていく。そうした先覚者の一人であり「ヤフトピ」をつくった奥村がヤフーでの社員向けの最終講演会で「答えはネットではなく、本の中にある」と言ったという逸話は興味深い。新しい経験と豊富な知識の先に、次のイノベーションはあるのだろう。私も何とかついていければいいのだが。

 

2050年のメディア (文春e-book)

2050年のメディア (文春e-book)

 

 

○70年代の朝日が「不健全な理想主義」に立脚しているとしたら、渡邉は徹底した現実主義で世の中を見通していた。東西冷戦の崩壊を見通し、政界を動かせるキングメーカーとして君臨をし、行政改革憲法改正論議を主導する。/が、その現実主義者の渡邉がたったひとつ見通せなかったことがあった。…インターネット。この出現によってあらゆる産業が変革を余儀なくされた。新聞もそのひとつであったが、渡邉はそれに抗っていたのである。(P13)

○無料こそが正しいというインターネット文化が全盛の中で有料版をやることは大変だった。…しかし…広告費が削られるようになった2000年代に入ると逆にジャーナルの有料モデルは見直されるようになる。/それでも人々はまだ誤解していた。多くの新聞人はまだ、紙の新聞の記事をウエブにうつしかえることでお金を得ることができるか、という間違った問いを発していたのだ。…デジタル版ならではの価値をつけること、これがデジタル版を成功させる秘訣だと、クロヴィッツは考えていたのだ。(P191)

○既存の市場の縮小のなかである程度の売上を維持しながら、あたらしい分野を探索し、深め、シフトしていく。/クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」を破るという意味でこの技法を「両腕の経営」という。…この「両腕の経営」を日本で研究する早稲田大学…の根来龍之は私に言った。「新聞の場合は、フィルム市場よりも紙の市場の衰退がゆっくりとしている。だからこそ難しい」(P305)

○ヤフーが創業して15年、社内には停滞感が漂っていた。ヤフーのような新しい企業でも、「イノベーションのジレンマ」に囚われ、技術革新によって生まれたスマートフォンの市場に積極的に出て行かず、パソコンでとったトップページの独占という地位に安住しようとしていた。…パラダイムシフトはパラダイムの中にいる人間にはわからない。太陽のほうが回っていると思う。外からみれば、まわっているのは地球なのに。(P307)

○ヤフーでの最後の日に…「最終講義」で奥村は、エンジニアと一緒に仕事をすることの大切さと素晴らしさを説いた。が、その最後に、こんなメッセージを残してヤフーを去っている。/「答えはネットの中にない。/本の中にある」/奥村は、ヤフーの社員が日々流されるように生きていることに、本当にいらだちを感じていた。答えはネット…やSNS…の中にあるのではない、多くの本を積み重ねて読んでいくことで見つかる(P410)