とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

パラリンピックの楽しみ方がわからない。

 毎週楽しみにしていたNHKの番組がオリンピック期間中、中断していた。その後、再開するかと思ったが、来週もお休み。どうしてかと番組表を見たら、パラリンピックの放送予定が入っていた。24日からパラリンピックが開催される。前回のリオ五輪あたりからパラリンピックも競技の状況が放送されるようになってきた。私自身は、リオパラの放送はほとんど観ていないが、今回は前回以上に、終日、放送予定が組まれている。東京開催ということもあるだろうし、何より障害者に対する社会の意識が変化した・・・のだろうか。

 正直、私がパラリンピックをオリンピックと同じ気持ちで観るかというと、自信がない。競技としての面白さを知らないということもあるだろうが、何より、自分自身の障害者に対する差別意識に対して確信が持てない。観戦しながら、「『障害者なのに』がんばっている」という気持ちが絶対に湧き上がってくるように思う。「障害があるのに」という気持ちが湧き起こることなく、競技を観戦し、応援する自信がない。

 学校観戦に対して批判が起きている。橋本組織委員会会長などは「観戦による教育効果」と言っているが、どういう効果があるのかはっきりとは言ってくれない。学校観戦の後、競技者の身体の動かし方を真似て笑いを取る生徒が出るのではないかと想像するが、それを窘めることが教育的効果でもあるまい。成人にとってはどうだろうか。パラリンピックを観戦すると、障害者に対する差別意識は低くなるのだろうか。「障害がなくてよかった」とか、「障害者でもがんばっているのだから私もがんばろう」と思うのは差別意識ではないのだろうか。「障害者」という色眼鏡を外して観戦することは容易ではない。

 前に、「スポーツをする人、スポーツを観る人、スポーツを利用する人」という投稿をしたが、障害者がスポーツをすることについては、健常者と同様、気持ちがいいし、健康にも良いと思う。「障害者スポーツを観る」ことはどうか。障害者ということを忘れて楽しめるスポーツであればいいが、そういう競技はあるだろうか。いっそ、大坂なおみ錦織圭が車イスに乗ってパラリンピックに出場すれば、純粋に国枝慎吾の凄さを実感できるだろうか。そしてもちろん、障害者スポーツを「経済的に」利用する人はあまり見えてこない。パラリンピック自体は政府が「障害者スポーツを利用している」最たる事例だろう。だが、「障害者に配慮した政権運営をしている」とプロパガンダする目的で利用しているのはわかるが、それに教育的効果があるかどうかはよくわからない。パラリンピックを利用したCMも多数流れている。企業イメージの上昇という目的だろう。

 いずれにせよ、来週にはパラリンピックが始まる(だろう)。私はどれだけパラリンピックの放送を観るだろうか。閉会式が終わった時には、パラリンピックの楽しみ方もわかっているだろうか。今のところ、あまり自信はない。パラリンピックが終わった後、世間の障害者に対する見方が変わっているといいのだけれど。