とんま天狗は雲の上

サッカー観戦と読書記録と日々感じたこと等を綴っています。

選挙というギャンブルに勝ち続けている政治家が賭ける東京五輪というギャンブル

 東京五輪はいよいよ観客を入れた開催に向けて進むことになった。東京から離れた地方に暮らす私からすれば、遠い町の出来事。オリンピックはあくまで都市が開催をするのであって、国ではない。私が住む町ではない他の都市「東京」で開催されるオリンピック。海外で開催されたこれまでのオリンピックと何ら変わることはない。

 4年前のリオ五輪はどのくらいテレビを見ていたのかと思い、ブログを振り返ってみたら、意外にたくさんテレビ放送を見ていたようだ。「リオ五輪ベスト10」なんて記事も書いている。東京五輪も、最高の選手が集まり、最高のゲームが繰り広げられ、最高の競技が見られると良い。でも、猛暑の中、コロナ禍で十分な練習もできない中、最高のスポーツ大会になるだろうか。他国の選手が十分な調整ができない中、自国開催の「地の利」を得て、東京五輪は、リオ五輪以上の日本の金メダルラッシュになるだろう。それって嬉しいかな。

 先週まで、サッカーの代表戦が連続して開催され、大勝を続けたが、それが真の実力かと考えると、どこか空しい感じがする。代表で連続ゴールを重ねる南野がリバプールでは試合出場もままならず、サウサンプトンにレンタル移籍された。シュツットガルトで活躍する遠藤航が率いる日本が金メダルを獲ったとしたら、それは実力だと素直に考えていいのだろうか。

 どうして政府が観客を入れた開催にこだわるのかもわからない。第5波が7月半ばから始まったらどうするんだろう? きっと強行開催だよな。もうあきらめている。コロナ禍の中、あえて観戦する人たちは、声を出しても応援も、観戦帰りの寄り道もできず、ただ競技観戦に集中するだけ。それってどれだけ楽しいのか。よほどそのスポーツのファンでなければ、「思い出づくり」ということかな。でも、金メダルを目指し、必死に戦う選手たちを、コロナ禍にも関わらず、「命を懸けて観戦(どうしても「感染」が先に出てくる)する観客」をテレビで見る僕らは、リオ五輪のように純粋に競技に集中できるだろうか。リオ五輪よりも空しい気がするんじゃないかな。

 どうして政府はそこまでギャンブルをするのだろう? と考えてみたら、政治家って本来、ギャンブル好きな人たちの集まりなんだって気が付いた。だって、職を捨て、選挙というギャンブルに勝って、政治家という地位を勝ち取った人々だから。ギャンブルと忍耐。それこそが政治家として上り詰めるための最大の資質じゃないか。彼らがここまで東京五輪にこだわるのはその政治家人生にある。忍耐し、努力すれば、選挙というギャンブルにも勝てるという成功体験。だからと言って、ギャンブル嫌いで安定志向な国民も多いのだから、安易に巻き込まないでほしい。何だか、パチンコ屋の前で列を作る人々を横目で見ながら通り過ぎるような気がしてきた。パチンコでもなんでも好きにしなさい。でも私の金を持っていくのはやめてほしい。